松枝まつえだ健二さん・けんじ   孝子さんたかこ    | 葛尾村

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JXエネルギー(株)葛尾給油所
松枝商店

体が続く限りは今後も葛尾村で商売を続けていきたい

私が代表を務めている松枝商店は、戦争から帰ってきた祖父が昭和52年10月に設立した会社です。主に燃料小売や自動車部品、用品整備用機械工具などを取り扱う会社で、私が2代目になります。
祖父の仕事を継ぐつもりだったので、商業高校を卒業後2年間郡山市の関連会社で修業を積み帰村。地域密着型の店として現在も営業を続けています。

震災当日も営業中で、来客対応をしているときに地震が発生しました。高校時代に宮城県沖地震(昭和53年)を体験していたため、またか。という思いもありましたし、今回の地震も数日前から余震が続いていたため、大きな地震が来るとは予想していましたが、そこまで被害が出るという考えはありませんでした。しかし、テレビに映る津波の映像を観て、とても驚いた記憶があります。
自宅は店舗のすぐ近くに有るのですが、古い家だったため(自宅が)潰れてしまわないかと心配し、家族は全員店内で一夜を明かしました。
店の中も物が散乱したりはしましたが、ライフラインがしっかりしていたため、翌日も営業をしていました。お昼前くらいから原発事故で避難されてきた沿岸部の方たちで道路は大渋滞。店にもガソリンを給油される方が沢山来て、15時くらいに売るものもなくなったため、店を閉め、家族で自宅待機をしながらテレビからの情報を確認していました。原発が危ないという情報は入ってきていましたが、このころはまだ葛尾村まで避難区域に入るとは考えていなかったですね。

翌日13日の夜、葛尾村も全村避難となり、私たちは船引町に住む妻の親類宅へ一泊し、翌日あづま総合運動公園に移動しました。同所には三春町に仮設住宅が完成した8月までお世話になりました。私自身は震災の3か月後から、村内の見回りをする警備隊として活動を始め、50人くらいで村内を警備したのですが、中には避難先の会津から通っている人も居ました。

私が事業を再開したのは平成25年の7月です。ちょうど新聞で浪江町の同業者が営業を再開したと知ったことと、村内の除染も本格的に開始されることになったので、そろそろ再開しようかな、と考えたためです。葛尾村の除染には、ピーク時で3千人以上の方が作業にあたっていたので、その分燃料補給に来る方も多く毎日忙しかったですね。現在も復興関連の業者の人たちが村内で作業されていますが、以前に比べたら大分落ち着きました。

葛尾村の避難指示が解除されたのは平成26年6月でした。震災後1~2年くらいだったら帰ってくるという選択肢もあったのですが、長い避難生活の中で体調を崩した母が病院へ通院することとなり、何かあったときにすぐ対応してくれる場所が近いほうがいい、という母の意向も汲み取って、三春町に自宅を建て、朝4時に起き村に通う日々が続いています。
毎日早起きして村まで通うのは正直骨が折れますが、定休日も自宅の手入れや草刈りなどで殆ど村に居るので、もう慣れましたね。

震災前と違い、今給油に来る方は作業員が大多数を占めています。帰村された村の人たちは100パーセント地元で買い物などを済ます人は殆ど居ません。そのため、村で給油する人も減りました。
日曜日は本当に静かですね。これが葛尾村の本当の姿なんだと考える日も有ります。
今の仕事もお客さんが来ないことには商売にならないので、いつまで続けられるかという先が見えない部分もあり、綱渡りをしているような状態が続いていますが、私自身は葛尾村の実家をリフォームして、いつでも住める状態にしておきたいなとは思っています。
そういう状況の中でも、生まれ育った葛尾村で、続けられる限り夫婦で頑張っていければと思っています。

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JXエネルギー(株)葛尾給油所 松枝商店
住所:福島県双葉郡葛尾村大字落合字落合55番地
営業時間:7:00~18:00

定休日:日曜日、第2・第4土曜日
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2019年7月取材
文・写真:S/T

浪江町