松本まつもと 民子たみこ さん | 葛尾村

松本まつもと 民子たみこ さん | 葛尾村

一般社団法人 葛尾むらづくり公社 復興支援員

これからも復興支援員として、体が続く限り頑張っていきたい

産まれも育ちも葛尾村の私は村内に嫁ぎ、主人、息子と共に暮らしており、朝晩は農業を、昼間は会社勤めという生活をずっと送ってきました。

震災当日も仕事中で、いきなりドカンという音と共に激しい揺れに襲われ、気が動転しました。最初机の下に身を隠し、揺れが収まったころ外に出たのですが、駐車場には亀裂が入っていたりして、自宅が心配になった私はすぐ家に帰りました。
主人と息子も心配だったのですが、携帯がつながらない状態で連絡が取れず、二人とも無事帰宅した際は本当に安心しましたね。翌日からは婦人会のメンバーとして、避難された方への炊き出しを行いました。14日に葛尾村に避難指示が出て、とりあえずの着替えや日持ちしそうな食料品など、必要そうなものを車に詰め、(車の)流れに沿って福島方面へ避難している時、郡山市に嫁いだ娘から「私の家においで」と言われ、郡山市を目指しました。
そのとき南相馬市に嫁いだ娘の子どもたちを、職場から離れられないからと2~3週間預かっていたのですが、比較的海の近くに住んでいた孫たちは津波が遡上してくる光景を目の当たりにし、近所の方が亡くなってしまったことからショックを受けてしまい、2~3日口をきくことができなくなっていました。孫たちの気持ちを考えると、今でもそのときのことをどう表現したら良いのかわかりません。

郡山市では孫たちの面倒を見ながら生活していましたが、4月の中ごろには学校なども再開。南相馬に住んでいた娘夫婦の仕事もひと段落し、両親の元で生活できるようになったことから、自分たちも葛尾村の避難先となっていた会津坂下町へ向かいました。役場で金山町の旅館を紹介してもらい、三春町に自分たちが入る仮設住宅が完成した8月上旬までお世話になりました。

三春町では、生活も安定してきたことから仕事を探し始め、葛尾村役場から「地域支え合いセンター」職員の募集があることを知り応募しました。無事採用となり職員として働きだしたのは25年度からのことです。同所では集会所ごとに2名の職員を派遣し、仮設住宅で生活をしている村民への声掛けや現状調査などを行っていました。

その後私たち夫婦は、葛尾村の避難指示が解除されたことに伴い29年の3月に帰還しました。戻ってきたときは本当にせいせいしたというか、何となくホッとしましたね。
生まれたところがやっぱりいいなって実感しました。
帰村率が低いため、夜に帰宅した際、近所の電気がついていない時など、元あった形では無くなってしまった事がふと寂しくなることもありますが、徐々に帰村される方も増え、総会などを開くと村外に住む若い人の何人かは、村に関わろうと集まってくれるので、嬉しいです。

私たち自身も三春町に避難していたとき、仮設住宅では手狭だったため親戚や娘たちが集まれる場所を作りたいと思い、同町に家を建てたのですが、その家は息子に譲ることにし、別々に生活することとなりましたが、息子も葛尾村祭り連合会の会長として村内でのイベントを企画したりなど、村との関わりを大切にしてくれています。

あぜりあの外観

30年度からは葛尾村の復興支援員として一般社団法人 葛尾むらづくり公社に採用され「葛尾村復興交流館あぜりあ(以下あぜりあ)」で働いているのですが、関わろうと思ったきっかけは、あぜりあが完成する前、婦人会の会長としてあぜりあの運営に関する検討会に参加した際「自分もなにか村のために出来ることはないか」と考え、働いてみようと思ったことからでした。

葛尾村への帰還と復興支援員としての活動

平成30年6月にオープンした「あぜりあ」は、原発事故で全村避難となった葛尾村の復興のシンボルとして建設されました。館内にはミーティングや各種イベントなども実施できる「交流スペース」、村の特産品などの情報を発信する「情報発信スペース」を備え、フリーWi-Fiも完備されていることから様々な用途で一日に平均約50名の方が来館してくれています。

また、盆踊りや自転車ロードレース大会「ツール・ド・かつらお」の会場としても利用され、イベントの際には県内外からも沢山の人から利用していただける施設になりました。

館内に使用されている飾りの梁や展示物を飾る棚、テーブルは200年以上前に建てられた古民家の一部が利用されています。

古民家自体は震災の影響で残念ながら解体されてしまいましたが、歴史ある建物を何らかの形で残しておきたいという願いから使用される運びになりました。

このほかにも敷地内には今後ミニシアターなどとしての利用が計画されている建物や、石碑の前に立つと村内にて教鞭を振るわれた故「三本杉祐輝」先生が補作詞された「葛尾川」の歌が流れるモニュメント、小さなお子さんも楽しめる遊具などが設置されています。
現在も若いスタッフたちがあぜりあを多くの方に利用していただけるよう、様々なイベントなどを企画してくれているので、これからもっと魅力的な場所になっていくことと思います。

復興支援員の仕事は、あぜりあでの活動のほかに帰村された高齢者宅への訪問などがあります。震災後若い人は村外へ、高齢者だけ村内にと、離れ離れで暮らす家庭がとても増えました。支え合いセンターに勤務していた時から思っていることなのですが、村内の高齢者は農家の方が多く、震災後農地を失くしてしまい、何をすれば良いのか分からくなってしまった人が本当に増えたんです。
だから、心にぽっかり穴が開いてしまったような寂しさが残ってしまう。各家庭を回ると、皆さん嬉しそうにお話しをしてくれるんですね。それを見て、本当は援助だけでなく、話し相手が欲しかったんだなと痛感させられました。
これからも高齢者が孤立しないよう、困ったことなどがないか聞きだしていき、社協さんと連携しながら、村民の支えになっていければと考えています。

葛尾村への思いですか…改めて聞かれると難しいですね。生きがいではなく、近くにあるから在って当たり前の場所だし、帰るのが普通だと思っていたから、避難中もずっと帰ることしか考えてなかったかな...
葛尾村の人と付き合うのも、お話しするのも当たり前というか…。人口の少ない村だから、 若い人も年配者も仲良くしないといけないんですよね。だからこそ、葛尾村の人たちは絆が深くなるんじゃないかな。

これからも復興支援員として、体が続く限り頑張っていきたいし、立ち上げから携わってきた「あぜりあ」の行く末も見守っていきたいと思います。


葛尾復興交流館あぜりあ
所在地:福島県双葉郡葛尾村大字落合字落合20番地1
電話/FAX:0240-23-7765
開館時間:9:00~17:00
休館日:毎週火曜日 ※屋外トイレは24時間利用可
ホームページ:http://katsurao-kosya.or.jp/


2019年3月取材
写真・文:S/T

浪江町