矢口やぐち 守夫もりお さん | 双葉町

矢口やぐち 守夫もりお さん | 双葉町

がんばる接骨院
浪江町出身 双葉町

双葉郡の人たちとのつながりを大切にしたい

生まれも育ちも浪江町で、小学校も中学校もずっと浪江。高校も浪高なんだけど、浪校は女子高なんだけんちょ、俺のいた頃も入れて男子もいた時期が10年だけあったんだ。卒業してから仙台の専門学校を出て修行して、昭和55年に双葉の新山で接骨院を始めた。それと同時に結婚したんだ。開業した年に息子が生まれて、2年後に娘が生まれたの。
仕事は順調だったよ。町の人みんな常連だったわ。

震災のときは接骨院がまだ営業中で、奥さんもいて、お客さんも3人位いたかなぁ。地震の最中はすごかった。前の家見たらグラグラ揺れてるし、みんな立っていられなくてしがみついていたわ。患者さんもお年寄りばっかりだったし。前の家の瓦もバラバラバラって落ちてきて。患者さんたちを家まで送って行くのに道もがたがたでなかなかまっすぐ行けないのよ。で送ってあげて。
その夜は津波がくるといけないからって双葉中学校に寝泊りしたんだ。とはいっても年寄りがいっぱいいたから外で焚き火して過ごしたんだ。
次の日の朝に「20キロ避難しろ」って言われたから、原町の親戚の家に身を寄せたの。そしたら、浪江や請戸の親戚がみんなおんなじ考えしてて30人くらいになっちゃって。そしたら行ったはいいけど、普通の一般家庭だから、トイレとか一人入ってると誰も入れなくなっちゃって。だから原町にいる野馬追いの馬仲間のとこに行って、馬に飲ませる水のバケツを20個くらい調達して、他の馬仲間のとこさも行って井戸水をバケツ20杯もらって軽トラで持ってきて、トイレさ使うようにやったんだ。原町も断水してたからな、あの時は。電気は点いてたんだけどな。
で、原町にも一晩いて、いるうちに(原発が)爆発したんだったな。当時有名になった東電の「ふくしま50」の人らからメールがきて、100キロは逃げないとやばいとなって。次の日にその時一緒にいたのが浪江の親戚ばっかりだったから、浪江の人は津島に逃げろってなって、そこにいた一人の叔母さんの実家が津島にあって、まあまあ大きな家だからってなって、みんなで津島に行ったんだ。俺は2・3人からメールがきてて100キロ逃げろって言われてたから「津島ではやばいな」ってなって、うちの奥さんの実家が山形なもんだから、山形に向かおうってなったんだ。でも、あの当時釣りもやってたんだけど、あのときの風は南風だから、福島・山形方面には放射能が来るな、って思ったんだ。だから俺らは葛尾村を経由して進んでいったんだ。288号線も警察官がいて山が崩れたって言われて通行止めだったんだけど、その警察官がその道を通ってきたって言うもんだから、言って通してもらったんだ。そしたら葛尾と都路の山のてっぺんで坂本県会議員と会ったんだ。今から県庁に行くんだって言ってた。
その後、身近な親戚が川内の体育館にいるって聞いていったんだけど、もぬけのからだった。それで郡山に向かって行ったらば、船引の体育館に大熊・双葉の人がいっぱいいたんだ。そこで大熊の親戚2家族を拾って、そこで知り合いに「会津まで行けばなんとかなるかも」って聞いたから、その親戚2家族を連れて車3台で郡山経由で新潟に向かって、猪苗代の国民宿舎に行って久しぶりに風呂に入って、会津まで行ったらガソリンスタンドがやってたから満タンにして、その先で高速に乗って、14日の夜には東京の弟のマンションにいたな。それから4月1日に都営住宅に入れてもらうまでは世話になってたな。

東京での生活といわきへの移住

東京に行ってすぐくらいに、新宿都庁に行って都営住宅の手続きしたから、いろいろと早かったんだ。最初都庁で斡旋したところは根岸(※台東区)にあるほうの住宅だったの。でも江戸川区あたりにしてくれって言ったから、そっちにしてもらったの。それで4月1日の抽選の日にはもう車に荷物を積んで引っ越せる状態だったもんだから、説明会に来た人たちはただ説明を聞きに来てるだけだったんだもの、全国放送で流れてるときに入居するつもりで来てる人がうちらだけだったのよ。だから、第一号だったわけだな、それが全国に流れたのよ。いろんな人から電話で連絡来たよ。

そして、接骨院関係の知り合いが東京にいたから、4月2日から奥さんと一緒に働かせてもらったの。しばらく働いてつなぎのつもりだったし、東京の接骨院でも勉強したいと思ってたのもあったから、ちょうどよかったんだな。結果的には12月までいたんだけど、途中5月にはレンタカー借りて双葉から程度の良い機械を運び出して、茨城の知り合いの倉庫に置かせてもらって。6月から毎週いわきに通って接骨院できるところを探したんだ。築40年くらいの建物を改装して。

それで、翌年の3月1日の奥さんの誕生日にいわきでオープンしたんだ。3月11日はさすがに周りから反対されてな。

いわきで開業してからは、誰も知り合いがいないから、これは送迎してやらないとな、となって。東京で働いてたときの人が3人付いてきてくれて、スタッフとして働いてくれたの。ハイエースで双葉・大熊・楢葉の仮設住宅から送迎して。

今はある程度順調だよ。双葉の頃の知り合いも今も来てくれるし。息子も手伝ってくれるみたいだし。娘のところにも初孫が出来たし。

双葉の人との繋がりも大事だね。郡山の支所とか仮設からも要望があって、接骨院を郡山で開いたし、やっぱり繋がりって大事だったからね。それで開いたけど、去年の3月には閉じたんだ。若い人は接骨院にはかからないからね。家を作って離れた人もまだ来てくれるけど、送迎のタイミングが難しいね、みんな遠くに住んじゃってるから。送迎に関しては採算取れそうも無いけど、年配の人のためになるんだもの、これからも続けていくよ。

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がんばる接骨院【いわき店】
住所:福島県いわき市平字中町20-1
TEL:0246-25-7010
定休日:日曜・祝日

HP:http://sp.raqmo.com/ganbaru-sekkotsuin/index.php?shop_id=3385&page_id=0
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2018年2月取材
文/写真:長谷川久三子