松本まつもと 秀夫ひでお さん | 浪江町

松本まつもと 秀夫ひでお さん | 浪江町

松本畳店 代表
浪江町出身

15歳から畳ひとすじ

昔はね、中学を出たら親が子供の仕事を決めたんだよ。親父は大工で兄がそれを継いだから、弟の自分は畳の仕事がいいと思ったんだな。同じ町内の畳店に15歳で住み込み丁稚奉公に行くことになったんだ。それ以来ずっと、畳職人をやってます。

大震災が起きた日は、兄のいる西台の実家に行って、そこで一晩過ごして、翌朝は何にも持たずに避難だよ。ただ羽毛布団と毛布だけは、家内がとっさに車につけたんだな*。みんなと同じ、津島に行こうとしたんだけど、加倉の辺から(津島に向かう唯一の国道)114号さ出てきたら、ダーッと車が並んでて入れないんだもの。でも仕方ないからそのまま行列して、津島に行きました。役場に勤めてる息子は仕事場を離れられなかったけど、孫たちとは津島の活性化センターでたまたま落ち合うことができたんで、良かったです。(*つけた=積んだ)

その後は川俣町、娘のいる新潟県柏崎市、それから埼玉県の草加市にいる家内の妹が空いてる部屋があるからって呼んでくれて、そこへ移って震災の年の7月までいたかな。遊んでるわけにいかないから土建のアルバイトをしたよ。畳の仕事はなかったからね。でも俺は田舎の人間だから、やっぱり都会の空気が合わねえんだな(笑)。知人から(福島市)飯坂町の借上げ物件を紹介されて、福島に戻ってきました。

同時に、南相馬の同業者のところを手伝えることになって、8月には畳職人として仕事を再開したの。そこへ飯坂から通ったんだけど、1時間40分くらいかかるから。特に冬は(雪の多い)飯舘村を通って通うのは大変だったんで、2年くらいして南相馬の借上げ住宅に移りました。その後、いろいろ考えたけれども、南相馬に中古住宅を買ったんです。浪江の自宅は地震で半壊って認定されて、解体しました。

仕事がある限り、やりたいし、やらなきゃいけない

その勤め先を平成28年の暮れで辞めて、平成29年1月に、浪江の松本畳店を本格的に再開しました。その前から浪江では住宅リフォームの需要が急増してて、勤め先の休みを返上して浪江の仕事してたんだけどもな。町内に5~6軒あった畳屋は、どこも高齢になって後継者もいなくて、再開したのはうちだけ。前よりずっと忙しいよ。機械を使うといっても、ぜんぶの作業をひとりでやるんだから。震災前みたいに「いついつまでに納める」という仕事は受けられないけども、「いつでもいいからやってくれ」って依頼が多いから。南相馬から通って自分のペースでやらせてもらってます。

実は、勤め先に辞めますって申告したときは、もう引退するつもりでいたの。この作業場も解体するつもりでね。そしたら周りのお客さんが「(畳の仕事を)辞めるな」って(笑)。浪江のリフォーム需要が一巡するのは、まあ、あと2~3年だろうかな。仕事がある以上はやりたいし、やらなきゃいけないと思う。身体の続く限り、ということだべな。

ここに自宅を設けたのが昭和54年。努力して借金して作ったんだ。小さい家だけども我が家だからね。(解体したのは)もったいなかったと思うがな。自分で浪江にまた家を建てるっていうのはもう無理だけんども、息子たちが家を建てて一緒に住もうか、なんてことになれば、個人的には浪江に来たいけどもな。

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松本畳店
福島県浪江町大字権現堂字中川原18
電話:0240-34-2040
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2018年8月取材
文/写真:中川雅美