お姑さんとの大切な場所を守りたい
私の生まれは双葉町です。双葉町北小学校、双葉中学校に通いました。当時は現在双葉町図書館がある場所に中学校があったんですよ。高校は浪江高校に行きました。双葉町に住んでいる頃の思い出はだるま市ですね。駅通りで開催していて、食べ物の屋台が並ぶのが小さい頃は本当に楽しみで。
高校を卒業してからは東京で働いていました。あの頃は皆東京に働きに行っていて、私自身も資生堂で化粧品の販売をしていました。
その後、私は19歳で浪江町津島にある夫の実家に嫁ぎ、それからずっと津島で暮らしていました。
嫁いだ先は幸輪呉服店というお店をやっていました。呉服店という名前ですが、洋服屋さんです。震災で途絶えてしまったけれど、嫁いでからずっとお姑さんと一緒に35年やっていました。
嫁いで10年くらいは景気もよくて。うちは津島の人が使うお店で、地元の中学生の制服を請け負っていましたから、子供たちがどこの子か良く知っています。住民のお茶飲み場にもなっており、井戸端会議をいつもしているような場所でした。小さなお店ですが、町の人達との思い出が沢山あります。
震災の時、既にお姑さんは他界し、子供たちも大きくなって家を出ており、夫と二人で暮らしていました。地震にはびっくりしましたが家は何ともなかったんです、水道も電気も使えましたし。原発事故が無ければあの日から家にいるはずです。
自宅では、ウサギとニワトリを飼っていました。それから、いつも畑をいじっていると来る野良猫がいて、本当に可愛がっていたんですけど、避難する際、置き去りにしてしまうしかなくて、とても辛かったことが忘れられません。
避難の時は、夫の弟が埼玉にいたので、不安もあったけれども「2、3日いたら戻ろう」という思いで避難しました。その後、避難が長くなるのがだんだん分かってきて、千葉県君津市の親戚を頼ってそちらに行きました。
親戚の家に長くはいられませんから、君津市の教職員住宅に移ったのですが、今まで暮らしていた環境とは異なる団地での暮らしに戸惑いました。私は一生津島にいるんだと思っていましたから。
私はお姑さんの後を継いで店を守っていこうと考えていたので、今でも千葉にいることが夢の中にいるんじゃないのかと信じきれない時があります。
私にとってお姑さんは大切な存在です。嫁いでからずっと一緒にいた人ですから。喧嘩も沢山したけど、ありがたかったと思っています。そのお姑さんが一代で築いてきたのが幸輪呉服店。大変な苦労をずっと見てきました。だからこそ、大切にしなくてはならないと思いますし、愛情が湧きます。
これからも元気でいたいと思ってます。除染をしてもらってまた畑や田んぼをやりたいですし、子供たちと過ごしたあの家を綺麗にしたいといつも思ってます。
しかし、今は中途半端な状態です。戻る戻らないと決められないですし、帰還困難区域のままもう7年になります。不安は沢山あります、これからどうなってしまうのだろうと。だけど残してくれたことを思えばくじけちゃ申し訳ないって思いますし、子供たちは自由でいて欲しいから、迷惑をかけないよう元気でいなくちゃと思います。津島に帰れるのかは分かりません。ですが津島のお墓には入りたいと思っています。嫁として嫁いだ先ですが、お姑さんが残してくれた場所がある津島は大切な場所のままです。
文/写真:吉川 彰浩
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