沼能ぬまのう 奈津子なつこ さん | 浪江町

沼能ぬまのう 奈津子なつこ さん | 浪江町

株式会社H.I.S. スタディツアー営業所 勤務

放送部で活躍中、高校1年で被災

2017年4月に東京の大学を出て大手旅行会社に就職し、郡山営業所勤務を経て、2019年1月から東京にあるスタディツアー営業所に配属になりました。国内だけでなく世界各地への「学び」の旅行を企画・販売している部署ですが、そのツアー商品の中に6年前に始まった「福島の今を知り、私たちの未来を考える」という1泊2日のツアーがあります。今年(2019年)からその訪問先が浪江になったと聞いたときは、嬉しい驚きでした。仕事を通じて少しでもまた浪江に関われることに、ご縁を感じています。

私はいわきで生まれ、郡山で幼稚園時代を過ごし、小学校に上がるとき浪江町の室原に引っ越しました。苅野小・中学校を出て、高校は南相馬市の原町高校に進学したのですが、それは放送部があったからです。

家の周りはイノシシが出そうな「田舎」で、(商店街のある)町中へ行くのも遠いし、子供のころは(商業施設の)サンプラザへも保護者の同伴なしでは行けなかったんですよ。だから、家に帰るとテレビばかり見ていました。それで「映像」に関わる部活がしたいと思ったんですね。エンタメでもドラマでも、画面に映し出されるキラキラした流行の最先端みたいなものに憧れて。早く家から出て、東京の大学に行きたいと考えていました。

東日本大震災が起きたのは高校1年の終わりです。揺れが来たときは授業中でした。家族と連絡がとれませんでしたが、夜になったら父が迎えに来てくれて、その日のうちに室原の家へ帰ることができました。当日の夜中に「避難してください」という防災無線が聞こえたんですが、もう真っ暗なのでその日はとりあえず寝て、翌朝、家族4人で(南相馬市)小高の親戚のところへ向かいました。でも、そこももう消防車が避難を呼びかけていて。最寄りの避難所は既にいっぱいだったため、私たちは二本松にいる兄のところへ避難しました。

5月になって、私の通っていた原町高校が福島西高校の教室を借りて授業再開することになったので、今度は福島市のアパートへ移り、私はそこで高校2年生を過ごしました。3年になるとき、既に南相馬に戻って再開していた原町高校の校舎に戻るか福島西高に転入するかの選択を迫られたのですが、放送部の活動を続けたかった私は、再び原町に引っ越すことになったのです。

「被災地の高校生」としてカメラの前に立った日々

その放送部では、学校行事の音声や録画を担当する他にも、全国高校放送コンテスト向けの映像作品やラジオ作品も作っていました。原町高校というのはその全国大会の常連だったんですよ。

震災後、私たち放送部員はマスコミの取材をたくさん受けました。特に浪江町民の自分は、「被災地の高校生」として取り上げやすかったんでしょう。放送部顧問の先生からも、「あなた方には伝える使命がある」と言われていましたしね。自分たちでも「原発30キロ圏内からの報告」というドキュメンタリーを制作したりして、「発信していこう」という気持ちはあったと思います。

でも今になって振り返れば、あのときは何にも考えられなかったんですよね。なぜ家に帰れないんだろうとか、考えだしたら止まらないし答えもない。そういう問いを立てること自体が怖かった。

だから「伝える使命」と言われても、実際は腹落ちしていなかったと思うんです。でも、カメラやマイクの前で何十回も話しているうち、いつの間にか「使命感をもって」とか「ずっと伝えていきたい」とか、ペラペラ言えるようになった自分がいました。自分の本当の思いではなく、相手が欲しいだろうなというセリフばかり。そんな高校時代の私、今から思えばかわいそうだったなと思います。

自分で考え、自分の言葉で伝えられるように

それに、もともと私はいろんな物事に疑問を抱くような探求心の強い子供ではなかったんですね。そうやって高校まで「自分で考える」ということをあまりしてこなかったので、大学に入ってからは苦労しました。ゼミの先生に、「おまえはどう考えるか、なぜそう考えるのか」と聞かれても答えられない。そこから、「自分の頭で考えて自分の言葉で話せる」ような努力を始めました。卒業して2年経つ今は、前よりは自分の考えが伝えられるようになったかな(笑)

大学ではメディア社会学を専攻しました。映像制作実習で「自分にとっての社会問題を映像化して伝える」という課題が出たとき、室原の家を題材に選びました。実は当時、大震災とか原発事故に関しては、ちょっと距離を置きたい時期だったんですよ。だから絶対に浪江のことを、残してきた実家のことを伝えるんだ、という積極的な気持ちではなくて、最初は別のテーマをいろいろ考えたんです。でも結局、いま自分にいちばん近い「社会問題」ってやっぱりコレだよな、と。それで、大学時代も年に2、3回は(帰還困難区域の)室原に立ち入ってドキュメンタリーの撮影をしていました。

▲2018年12月、解体前の自宅で撮影する沼能さん

その家も獣害がひどくなり、とうとう間もなく解体されます。浪江ではあちこちで建物の解体が進んでいますが、更地になった場所を見ると、なんだか儚いものだなと感じてしまいますね。早く出たかった室原の家ですから、愛着などないと思っていたけれど、自分がそこに住んでいた「跡」が全部なくなっちゃうと思うと、やっぱり寂しいというか・・・。家の中にあるモノって、ただの物体じゃない。鉛筆とかぬいぐるみとか教科書とか、要らなくなっても捨てなかったモノたち。自分だけが知っている思い出のモノたち。それも全部、家と一緒に処分されてしまうわけで。だから今、それらを一つ一つ映像に収め、言葉にしています。その作業にどんな意味があるかわからないですけど・・・。人に伝えるというより、未来の自分の「拠りどころ」にするため、かな。

もちろん興味はあるけれど・・・浪江に対する偽らざる思い

高校時代、放送コンコールの全国大会で各地のいろんなストーリーを知るのはとても刺激になったし、大学のゼミでも地域の中に入って取材したりするのはとても面白い経験でした。それで、就職活動では 「地域とかかわる仕事」がしたい、とだけ漠然と考えていました。業界を決めずに60社以上受けているうちに、だんだん考えが整理されて、最終的には旅行会社へ就職。地域と人をつなげたり、地域間の交流につながる仕事ができると思ったからです。最初の配属が地元・福島の郡山営業所になったときは正直あれっ?と思いましたけど(笑)、そこで基本の業務を経験できたのはやっぱり良かったと思います。その後、社内の公募でスタディツアー営業所のポジションに手を挙げ、東京に転勤になって今に至ります。

浪江がこれからどうなってほしいか、ですか?うーん・・・そういうの、あんまり得意じゃないなぁ。いま浪江で将来を見据えた活動している人たちはスゴいなと思う一方、自分がそれに付いていけるかというと、正直難しいかなと感じます。もちろん浪江からは目が離せないし、とても興味がありますけど、それは地元が大好きだから!というよりは、興味があるたくさんの地域の中の一つという意味合いなんです。

でも、今年の「福島の今を知り、私たちの未来を考える」スタディツアーでは、ぜひ添乗員として浪江に行きたいですね。たくさんの方がツアーに参加してくださるといいなと思っています。

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- 知り、語り、未来を共につくる - 浜通り・浪江町で人口ゼロから始まる新しいまちづくりを応援!
福島の今を知り、私たちの未来を考える2日間
(2019年5月11~12日、7月13~14日、11月9~10日)
https://eco.his-j.com/volunteer/tour/TF-FUKISHIMA-NAMIE?fbclid=IwAR3i3KG7HA5vpTKVb1NqvlPmPwc3T9Jej7uz3AYpxN9QsKX0lZbw5whFHQ4
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2019年3月取材
写真=沼能奈津子さん提供
文=中川雅美