吉田よしだ 知成ともなり さん | 双葉町

吉田よしだ 知成ともなり さん | 双葉町

株式会社伊達屋 代表取締役

「もう双葉には帰れない」

2017年6月5日に、国道6号沿いのガソリンスタンド「伊達屋」を再開しました。全町避難中の双葉町で営業するには特別な許可が必要ですから、いま町内で再開している店はうちともう1軒のガソリンスタンドだけです。

再開にあたって設備の復旧はもちろん、人が常駐できるレベルまで除染するのに相当時間がかかりましたし、最初は従業員の確保にも本当に苦労しました。が、おかげさまで再開1年半を過ぎ、経営は順調です。特にこの1年は、体制が整ったこともあり大変なスピードで伸びていますね。震災前は地元密着で町民家庭用に灯油やガソリンを販売するのが主でしたが、現在はこの一帯の工事現場を回って燃料を供給する仕事が8割を占めています。

実は東日本大震災当時に伊達屋を経営していたのは父で、私は東京で会社員をしていました。双葉高校を卒業後、東京の大学に進学し、そのまま就職して20年。もっとも、長男ですからいずれは双葉に帰るつもりで、家は借家のまま。家業を継ぐとき役立つよう、仕事も石油や自動車販売を選んでいました。でも、まだ帰るタイミングが見えていない状態だったんですね。

ところが、大震災と原発事故がおきてしまった。震災当日は避難車両に夜通し給油をしたという父たちも、全町避難となって関東に逃れてきました。それで私は、2012年末に東京に家を買ったんです。双葉にはもう帰れないと決断してのことでした。翌年、いわき出身の妻との間に子供も生まれ、自分たちはこのまま東京で暮らすものと思っていたのです。

諦めた気持ちを変えたのは

その後、双葉町周辺で廃炉や除染などさまざまな作業が本格化してくると、「現場近くに燃料店がほしい」という工事業者の声が高まってきました。父のところへも、町から営業再開の打診が来るようになります。が、もう60代後半になっていた父はなかなか決心がつきません。

同時に別のルートから、私にガソリンスタンドをやらないかと声をかけてきた人がいました。高校の同級生です。彼も震災直後はしばらく家族とともに横浜へ避難してきていたので、当時はよく飲みに行く仲でした。避難中に彼は、勤めていた大企業を辞めて専門学校に入り、難しい国家資格を取得。それで何をするのかと思ったら、一人でいわきに戻って会社を作ったんです。最初に事務所を訪ねたとき、元スナックだったという店のテーブルにパソコン1台置いて、彼がぽつんと座っていたのを鮮明に覚えています。そのときは「大丈夫か?」と思いましたが、そこから2年もしないうち、次に新しい事務所を訪ねたときにはもう15人くらいの従業員がいたんですよ。

「いまこの地域にはこれだけのビジネスがあるんだ。燃料の仕事をやらないか。生まれ故郷の復興のために、一緒にやろうぜ」

グッときました。実際にやっているヤツから言われるのは説得力ありましたからね。それで私は、双葉に帰って伊達屋を継ぎ、営業再開することを本格的に検討し始めたのです。そうなったら父も全面的に応援してくれましたし、震災前から父の下で伊達屋を支えてきた義理の兄も、私がやるなら「手伝うよ」と言ってくれました。それがなければ、最終的に決断はできなかったと思います。

▲伊達屋創業期から店内に掲げられていたタバコの看板。よく見ると伊達屋初代・彦吉さんの名前も刻まれています▲

もうひとつ、背中を押してくれたものは、祖父への思いですね。明治創業の伊達屋は、もとは薪や練炭、タバコなどの販売店で、国道6号沿いのこの場所にガソリンスタンドをオープンしたのは昭和40年代のこと。いよいよ福島第一原発ができるという時期で、将来の需要を見越した祖父の大きな決断でした。父がそれを継ぎ、忙しかった両親にかわって子供の私の面倒を見てくれたのも祖父でした。その祖父は、私が高校のとき突然の事故で亡くなってしまったのです。以来私の中には、祖父の大切な店をいつか自分が継ぐのだという「約束」のような気持ちが、ずっと眠っていました。

3年前に伊達屋の再開を考え始めたら、一度は消えかけていたその思いが心に甦ってきたのです。

新しい町をつくる仲間がいる

伊達屋を再開してからずっと、今年6歳になる子供と妻を東京の自宅に残して、私はいわき市内に単身住まいです。妻もその辺あまり深く考えるタイプではないので(笑)、私がそう決めたら「やるだけやってみたらいいよ」といって送り出してくれました。いわきなら東京もそう遠くありませんし、妻の実家が近いのでなにかと安心ですしね。将来的に双葉町の避難指示が解除されても、家族そろって町に戻って住むという選択肢は・・・ちょっと考えられないでしょうね。子どもが成人した後にどうしようか、というくらいかな。

店の再開にあたって、双葉町の将来がどうなるか、ということはほとんど考えませんでした。私は長く故郷を離れていた人間だから少しドライなところはあるかもしれませんが、元の町をそっくり「再生」することは不可能だと思います。それよりも、新しい人が来て新しく作る町であっていい。この地域ではいろいろな事業が行われていて、新しい需要も次々生まれています。それをうまくビジネスにつなげ、みんなで盛り上げていく。実際、帰ってきてみたらそう考える同年代の経営者がたくさんいたんですよ。しかもかなり多様な業種で。ときおりみんなで集まって情報交換していますが、こうした仲間がいることは本当に刺激になります。だからいま、一人で仕事している気はまったくしません(笑)。ありがたいことですね。

2019年2月取材
文 ・写真=中川雅美