松本まつもと 富子ひさこ さん | 葛尾村

松本まつもと 富子ひさこ さん | 葛尾村

(有)ふるさとのおふくろフーズ 代表

葛尾村の伝統食「凍み餅」を自分たちで作り続け、次の世代へつないでいきたい

私が代表を務める「ふるさとのおふくろフーズ」は、平成2年に同じ集落に住む5人のお母さんたちと一緒に立ち上げた、葛尾村の伝統食“凍み餅”や生餅などの生産を中心に、葛尾村産の野菜を加工し、販売している会社です。
平成23年に起きた東日本大震災で一度は全村避難となってしまい休業を余儀なくされましたが、平成28年6月に一部避難指示が解除になったことに伴い準備を進め、翌年2月から営業を再開させることができました。

おふくろフーズを立ち上げたきっかけは、少子化や人口減少が進んだ葛尾村のために「何かできることはないか?」と考えたことが始まりです。
高校や大学を卒業したのち、葛尾村へ戻らず村外で就職する方も多かったのですが、その要因の一つに就労先が無いことも有りました。そのため、一人でも多くの人に葛尾村で働き口を見つけてほしいとの思いから、何か会社を立ち上げようと思ったのです。だけど日記も家計簿も付けない、手紙も書かないような自分に何ができるのだろうか?と自問自答する日々が続いたのですが「そうだ、毎日やっている農業があるじゃないか。自分たちで生産したものを使って加工し、商品化しよう」と考え、以前各家庭で作られていた“凍み餅”を販売しようと思ったのです。

工場2階で乾燥している「凍み餅」
平成30年度は4,000連(12個ずつ紐でくくったものが1連)が生産された

葛尾村の伝統食“凍み餅”は、天明・天保の大飢饉が有ったころに誕生したと言われています。
大凶作に見舞われた葛尾村も多くの餓死者が出たため、あらゆる雑穀を混ぜ、ごんぼっぱ(オヤマボクチ)をつなぎとして入れて、ついた餅を寒い時期に凍らせ、乾燥させた凍み餅が保存食として各家庭で作られていたそうです。
そういった先代たちの知恵から生まれた凍み餅のおかげで生き残った方たちが居て、私たちが今こうして生きているんだと考えたとき、この凍み餅を自分たちで作り、守り続け、次の世代へバトンタッチしていきたいと考え、集落のお母さんたちと話し合いをして「おふくろフーズ」を立ち上げました。

葛尾村の冬ならではの冷たい風と空気でじっくりと乾燥させる凍み餅は、風味が豊かで美味しいと評判を呼び、北は北海道、南は沖縄まで発送しました。
注文をお願いされた人から「葛尾村の凍み餅じゃなきゃダメだからね」と念を押されたという話を聞いたときは本当に嬉しかったですし「ああ、凍み餅を作っていて良かったな」と思いましたね。
中国からも3度ほど注文が入りました。注文を受けたときは「凍み餅が海外まで行くんだ」と思うと本当に嬉しくて、幸せの色でもある黄色いリボンをつけて送った記憶があります。

平成23年には過去最高となる8,800連の生産を行い、これから出荷になるというときに先の震災が発生しました。
震災当日も工場に居り、出荷するための凍み餅を編み直し、仕上げをしていたんですね。「ちょっと早いけど仕事が一区切りついたから休憩しよう」というときにすごい地震に襲われました。
テーブルの下に隠れる人も居ましたが工場内は危ないと、立っていられなかったため這って外に出でたんです。当時はまだ雪もいっぱいあったし、電線が切れる勢いで揺れていたので、本当に怖くって。揺れが収まりかけた頃、みんな一旦仕事を終わらせて、家に帰ったんです。我が家は浜通りにも親戚が多かったため、当日は50人近くの親類が自宅まで避難してきました。翌日、原発が爆発したというニュースを見て双葉町の親戚が「あぁ、もう双葉では田んぼは作れないな」と東の方を見て言っていたときは本当に悲しくて、今でも思い出すと胸が詰まります。
14日には葛尾村も全村避難となり、みんなであづま総合運動公園に避難しました。それからは散り散りに移動を開始し、私たち家族も葛尾村に帰還するまでの間、8回ほど避難を重ねました。

葛尾村でまた「おふくろフーズ」を再開させると心に決めていた

私は避難したときからずっと葛尾村で「おふくろフーズ」を再開させると心に決めており、震災前も一緒に頑張ってくれていた娘たちや家族も賛成してくれました。そして古くなった工場を解体し、同じ場所に工場を建て直し、平成29年2月に生産と販売を再開させることができたのです。私の力だけでは無理だったので、家族や周りの人たちが応援してくれたからこそ再開できたことに、心から感謝しています。

「おふくろフーズ」店舗で販売されている加工品の一部

「おふくろフーズ」で一番人気の商品は凍み餅ですが、それと一緒に村内で生産された農作物を加工した食料品や生餅も販売しているんですね。最近では若い人たちが考案してくれたショウガやじゅうねん(エゴマ)を混ぜた生餅なども製造しており、どんどん新しい商品が生まれているので、若い人たちの発想力にいつも感心しています。
震災後初めて製造された凍み餅は1,000連ほどしか作れませんでした。平成30年度は4,000連製造したのですが、あっという間に無くなってしまい、本当はもっと凍み餅を作りたいのですが、原料になるごんぼっばが手に入らないんですよ。少しでも多く集めたいのですが、作っている方も少ないんですよね。
だけど今は、郡山女子大の学生さんや、村内外の人も除染した畑でごんぼっぱを生産してくれているので、とっても有難いです。今後の目標は最高記録の8,800連以上凍み餅を生産することですね。

震災後は放射能検査も毎回欠かさず行っています。検査で合格したものしか販売できないので、原料の一つ一つをしっかり検査しています。皆さんに安心・安全なものを食べてほしいし、自信を持って売りたいですからね。

今加工場では、娘2人と孫嫁のほか、編み方の応援に来てくれるお母さんたちも居て、とっても助かっています。病気してしまったのもそうですが、80歳を超えたので早く世代交代したいという気持ちもありますが、娘たちから「もう少し頑張ろう」と言われ、デイサービスに通いながら加工場にも足を運んでいます。
後遺症から右指3本が痺れてしまい力が入らないのですが、昔話を語りながら皆さんと一緒に楽しく作業しています。

本来なら凍み餅は外に干して凍らせていたのですが、震災後はイノシシなどによる害獣被害が増えたため、加工場の2階で干すようになりました。それでも震災前と変わらぬ風味と美味しさを保っています。

現在私はひ孫4人を含めた家族10人と一緒に、村内の自宅で暮らしています。毎日賑やかに過ごせていることが、本当に嬉しいです。これからも家族と共に、生まれ育った葛尾村で伝統食“凍み餅”を作り続け、ずっと守っていきたいです。


(有) ふるさとのおふくろフーズ
〒979-1603
福島県双葉郡葛尾村野川字湯ノ平41
TEL:0240-29-2154 FAX:0240-25-8154


2019年1月取材
写真・文:S/T

浪江町