堀川 章仁さん | 双葉郡医師会会長

堀川 章仁さん | 双葉郡医師会会長

元夜の森中央医院院長、双葉郡医師会会長、公立双葉准看護学院学院長

公益社団法人富岡町さくら文化・スポーツ振興公社代表理事

~双葉郡の人たちに寄り添いながら、自分ができる限りのことをしていきたい~

震災当時、私は富岡町夜の森にあった「夜の森中央医院」の院長を務めていました。

南相馬市出身の私が同医院の院長となったのは平成3年。それまではいわき市の労災病院に勤務しておりましたが、前任の前田先生が引退なさるということで医院を引き継ぎ富岡町に移住し、約20年に渡り診察を続けてきました。震災当日も診察中で、院内にも患者さんが3~4人居た中で大きな揺れに襲われました。建物自体は大丈夫でしたが、敷地内の塀が倒れてしまったため片づけを済ませたあと、高齢の患者さん宅に往診に向かい、その後帰宅しましたが停電になっていたため、震災による被害状況などを知らないまま家内と共に一夜を過ごしました。

翌朝には富岡町にも避難指示が出たのですが、自宅前の道路が大渋滞しており身動きが取れない状態でした。渋滞が途切れた正午頃自宅を出て、まず初めに目指したのが私の父が住む南相馬市です。父の無事を確認し、元気そうな姿を見たときはホッとした記憶があります。その後海沿いの道路を走り、被災状況を初めて目の当たりにしたのですが、津波で流され、丸見えとなった沿岸を見たときは形容しがたい気持ちになりましたね。

私たち夫婦は当初津波被害の少なかった日本海側まで避難しようと考えていたのですが、家内の実家である二本松市に身を寄せた際、ライフラインもしっかりしていたため、そのまま約2か月お世話になったのち、市内の借り上げ住宅に移り住みました。

夜の森中央医院

~避難生活から現在に至るまで~

二本松市に避難した翌日から、私は毎日市内で富岡町民を探しましたが、当時はまだ町民のほとんどが川内村に避難している状態でした。17日か18日のことだったと思うのですが、震災後初めての電話が医師仲間からの「富岡町民がビックパレット福島に避難している」という連絡でした。連絡を受けた私は“また富岡町のみんなに会える”と思い、町民のお手伝いになればと二本松市からビックパレットまで毎日通いました。

同所では主に具合の悪くなった方たちの診療や心のケア、慣れない避難所生活で体を動かす機会が減り、筋力が衰えていくことを危惧したため、とにかく少しでも運動をすることを進めました。

その後大玉村の仮設住宅にて診療を開始し、平成30年からはいわき市好間町と勿来町に新設された「双葉郡立診療所」の内科医と管理責任者を兼任しています。

双葉郡立診療所

「双葉郡立診療所」は郡内8町村でお金を出し合って運営が開始された医療機関です。

診療科目は内科や歯科、整形外科となっており、私のほかにも震災前まで双葉厚生病院に勤務されていた医師が診察を行っています。診療所には双葉郡の方はもちろん、地元いわき市の方も来院されます。

新設された理由として、いわき市内に町村単位の大きな復興住宅が建設される中で、町民から“地元の言葉で話す医者と話がしたい”という声が上がったことが一つあります。

設立以前は医師の確保が難しいことなどから反対の声も上がりましたが、治療だけが目的なのではなく、患者の悩みを聞くことこそ重要なのではないかと考え、“双葉郡の人たちをもっと活気づけたい”という思いからスタッフの皆さん頑張ってくれています。

また、私は平成15年に設立された「富岡町さくらスポーツ」の代表理事も務めています。同団体は平成29年4月に富岡町の一部避難指示が解除となったことに伴い、拠点を富岡町に移して活動を再開することができました。平成31年4月からは公益社団法人として認可され、より活動の幅を広げられるようになりました。まだ認可されて間もないため、活動内容等はこれから話し合いで詰めていく段階ですが、体を動かすことだけを目的とせず、住民同士の交流の中で地域の人たちが仲良く暮らせるようなコミュニティづくりを促進していけたらと考えています。

このほかにも公立双葉准看護学院の学院長、郡山市の星ヶ丘病院の内科診療部長を兼任しているため、忙しい毎日を送っています。

現在も二本松市の借り上げ住宅から通勤する日々が続いていますが、体が疲れたという感覚は有るのですが、苦労をしているなと感じたことは無いですね。ただ、通勤時間が長いため時間がもったいない。車で移動している間に英語の勉強でも始めようかなとは考えています(笑)。

富岡町の自宅には今でも月に一度は足を運ぶようにしています。荒らされるのが嫌なので、行くたびにイノシシやネズミによる害獣被害に遭った自宅を一生懸命掃除しています。震災以降放置されたままだった医療機器もやっと撤去する目途がたちました。

自宅は今後更地になる予定ではありますが、住みやすい環境である富岡町にまた家を建てることも、家内の希望もあり視野には入れています。ただ、自宅は帰宅困難区域に指定されているので、何年後になるかは検討もつきませんが…。

これからも双葉郡の皆さんに寄り添いながら、自分ができる限りのことをやっていければと思います。2019年3月取材

追記 2021年2月 前回のインタビューから2年が経って

今年3月に借上制度が廃止される為、今は必死になって二本松市内の住宅にすこしづつ引っ越しを行なっています。

2020年3月の夜ノ森地区避難指示一部解除については、道路のみなので全く実感を感じません。また、夜ノ森中央医院が解体されて、自分の歴史の一頁がめくられた気がします。今後は医師として、まだ役割はあると思いますが、早く役目から退き、のんびり旅行などして自分の時間を使えるようになればいいと思います。