秋元あきもと 菜々美ななみ さん | 富岡町

秋元あきもと 菜々美ななみ さん | 富岡町

福島県双葉郡富岡町役場 健康福祉課 国保年金係 主事

富岡町はもちろん、今後の双葉郡を見守っていきたい

震災当時、私は富岡第二中学校の1年生で、震災当日は中学校の卒業式を終え、友達4人と夜の森のコンビニに居たときに大きな揺れが襲い、外に逃げました。
当時携帯電話を所持していなかったので、とりあえず友達と一緒に富岡二中までみんなで避難し、夕方くらいに職場から帰宅した母と合流し、両親と兄の4人でリフレ富岡に一泊した後、川内や姉が住んでいた茨城県を経由し、親せきを頼りに千葉県まで避難しました。千葉県では進学と同じタイミングで転入し、半年間ほど過ごしましたね。
しかし私と母は福島への思いが強く、千葉県での生活に馴染めずに居たので、原発から一番遠く離れたいわき市勿来への移住を決断。その後小名浜に家を建て、両親は今もそこで生活をしています。

自分のやりたいことに気付かせてくれた大切な恩師との出会い

その後私はいわき市の総合高校に入学し、演劇部に入部。そこで私は現在の思いにつながる、大切な恩師と出会いました。

高校時代の演劇部での思い出 写真提供:秋元菜々美さん

部活動では演劇部顧問の方針で「自分の中で大きかった出来事を、自分たちで演劇にしなさい。演劇をするのではなく自分と向き合い、演劇の中で自分を表現し、他人とのコミュニケーションをとる方法を考えなさい」と言われ、自分と見つめ合う時間がすごく長くなったんです。
その中で、自分が震災としっかり向き合っていなかったことに気付きました。当時の記憶は徐々に忘れていくし、できれば忘れたい記憶でもありました。
自分と向き合う中で「私はどうしたいんだろう?」っていう葛藤が凄く大きくなっていき、悩み続けた高校2年生の時、帰還困難区域となった夜の森の自宅に一時帰宅しました。震災発生から4年後のことです。
自宅には私が抱き枕として愛用していたイルカのぬいぐるみやアルバムなどが震災前のまま置かれていました。自宅には入れたものの、震災の影響で全壊状態でした。周りもひび割れた家や伸びっぱなしになった雑草ばかり。人の手のかかっていない荒れ果てた状態に「なんで私、この地域ほっといちゃったんだろう?」という思いがこみ上げ、ショックを受けたと同時に、何もできなかった自分が悔しく、胸が詰まりました。

大勢の人で賑わう夜の森の桜(震災前)と一時帰宅で見つけた9歳時の手形 写真提供:秋元菜々美さん

このときの思いが原動力となり、私は富岡町とちゃんと向き合いたいと考えるようになりました。地域に一番近い場所で町を見続けるためには公務員が一番だと考え、その後公務員学科のある郡山市の専門学校に進学し、2018年の春、富岡町役場に職員として採用されました。高校での演劇部顧問との出会いが無かったら私は今、違う生き方を選んでいたかもしれません。だからこそ、恩師との出会いに本当に心から感謝しています。

双葉郡の方たちとの交流を通じて

専門学校在学中も双葉郡の力になりたいという思いから様々な活動に参加しました。Twitterで知ったいわき未来会議に参加する中で双葉郡未来会議の存在も知り、一緒に双葉郡内の視察やツアーに参加していく中で、地域のことをもっと知りたいなと思うようになりました。そんな時、葛力創造舎の下枝さんと出会い、2017年からの1年間、同団体にアルバイトとして雇用され、ツアーガイドや冊子づくり、葛尾村の人たちと県内外の人たちとの交流を図る「結ツアー」も3度企画しました。

昨年実施された「結ツアー」での様子 写真提供:秋元菜々美さん

実は私、葛力での仕事を始めるまで、葛尾村の名前すら知らなかったのですが、活動の中で葛尾村のおじいちゃん、おばあちゃん宅に訪問し、食事をもてなされることが多かったんです。一緒に食卓を囲む中で地元ならではの色々な昔話を良いところ、悪いところも含め、色々教えてもらったんです。その中で「あぁ、私が抱く夜の森桜のイメージと一緒」だなーって感じることがあって。
桜の時期って、人が多くて移動し辛いし、散ったら汚い。木から沢山毛虫も落ちてくるから傘さして登校しなくちゃいけないしって(笑)。だけど桜は本当に綺麗で大好きって気持ちと重なって、地元の人だからこそ知っている良いところも悪いところも踏まえても、やっぱり地元が好きだし、愛してるんだなって思った時、一気に葛尾村が好きになりました。だからこそ葛尾村の魅力を沢山の人に知って欲しいし、困ったときに助け合う関係ができればなって考えています。
葛尾の人って、人をもてなすのが普通で、それが当たり前なんですよね。「お互い様」の精神をとても大切にされてるというか。これって、今後の双葉郡にとても大切な関係性だと思うんです。

震災後、様々な支援を受けた双葉郡の人たちは助けてもらうことに慣れてしまい、自分から頑張ることがどんどん少なくなってきてると感じます。実際、支援が打ち切られたらどうやって生きていこうか?と悩んでいる方も居ます。
もちろん、福祉面などで支援が必要な方が大勢居るのも現状だし、それを支えたいと仰ってくださる方も居るので、それが悪いことだとは思いません。そういった人たちのためにも、地域自体がもっと自立し、そこに住む自分たちが地域を盛り上げたり支え合ったりしながら頑張っていかなければと考えています。

社会人一年目の私は、富岡町のことはもちろん、双葉郡のことも沢山覚えていかなければいけません。職場の方や地域の人たちに色々と教わりながら、これからも様々なシーンで関わっていたいです。
富岡が今後どうなっていくかは正直分かりません。だけど、産まれてからずっと育ってきた場所だからこそ大切にしたいし、これからもずっと見続けていきたいと思います。

2018年9月取材
文 ・写真=S/T

浪江町