門馬もんま 孝之たかゆき さん | 浪江町

門馬もんま 孝之たかゆき さん | 浪江町

FB代行運転サービス 代表

開業3年目で大震災

請戸の漁師の家に生まれました。7人兄弟姉妹の末っ子で、いちばん上とは17歳以上も離れているんですよ。自分は船のエンジンなどメカニックの仕事がしたくて工業高校に行きました。若いころはまあ、都会への憧れもあったんですね。浪江を離れて大手造船会社や自動車メーカーで働き、神奈川県川崎市に6年くらい暮らしました。

でも広い海を見て育ってきたでしょう。だからやっぱりビルに囲まれた都会はダメだったんだね。同じように川崎に出てきていた姉と一緒に浪江に戻って、飲食店を開業することになりました。いまから40年くらい前の話です。ちょうどその頃から浪江には飲食店がどんどん増えたんですよ。その数年後から兄が経営する代行運転サービスで働くことになり、さらに2008年に独立して同業の会社を立ち上げたのですが、開業のあいさつ回りでは150軒くらい訪問したのを覚えています。

当時の浪江には大手企業の工場や支店もありましたから、法人のお客様も多く、経営は順調でした。手が足りなくなって東京で勤めていた息子も呼び戻し、一緒に仕事を始めたところ、まもなく大震災に見舞われたのです。

原発事故の直後は南相馬へ避難して3日ほど過ごし、その後は嫁いだ娘が先に避難していた会津若松へ向かいました。ただ、うちには犬がいてね。避難所にはペットを連れて入れないので、会津若松でペットセンターを見つけて預けるまでは、ずっと車中泊でした。それから知人の伝手を頼って前橋に移り、3か月ほど滞在。その後、喜多方の借上げ住宅に入居して少し落ち着くことができたのは、8月頃です。そこに5年ほど暮らしましたが、気候も違うし、やっぱり高い山に囲まれているのはなんだか圧迫感があるんだな(笑)。2年半ほど前、南相馬に家を建ててやっと浜に戻ってくることができました。

やれるところまでやってみよう

喜多方にいたとき軽い脳梗塞で倒れて以来、体調がすぐれなかったこともあって、最近まで仕事はしていなかったんです。でも浜に戻ったら少しずつ元気になってきて、浪江の広報誌で見た見守り隊(町内パトロール)の隊員募集に応募し、2017年4月から週2~3回の勤務を始めました。車の運転ならいくらやっても苦にならないしね。

その頃から浪江での事業再開を考え始めてはいました。夜の運転代行以外になにか車を使った仕事ができないかと、いろいろ検討してみたんですが、なかなか難しい。そのうち町内にも飲食店が少しずつ増えてきて、「代行があったらなあ」という声も聴かれるようになってきたんです。

とはいえ以前とは状況がまったく違うので、再開しても採算がとれないことは覚悟しないといけない。それでも、サービスを利用したい人が1日に1人でも2人でもいるならと、2018年11月15日に「FB代行運転サービス」の営業を再開したのです。事務所は新たに借り、新しい車両は目立つよう明るいブルーに塗りました。

代行は1人ではできませんから、家内や息子、知人の助けも借りながら、19時から23時頃まで営業しています。お客さんの数ですか?そりゃゼロの日が続くこともありますよ。皆さんもう、飲みに行っても代行サービスがないことに慣れちゃってるんでしょう。はっきり言って商売にはなっていませんが、これも想定内です。まだ再開から2か月弱。幸い少しずつ知られるようになってきているので、しばらく様子見ですね。

とはいえ、浪江全体が今後どうなっていくのか、いまだ具体的に見えてこないのを残念に思っています。同じ時期に避難指示が解除になった他の町と比べても、(復興が)遅れてるんじゃないでしょうか。お祭りなどのイベントはたくさんやってますけど、そういう効果は一時的なもの。大きな商業施設や大きな企業が来てくれて町内の居住人口がもっと増えないと、代行運転という仕事だけで食べていくことは厳しいですよ。今のままでは息子に継がせられる状況ではありません。

請戸の実家は船も家も流され、故郷の風景は一変してしまいました。でも請戸漁港は復旧して試験操業が始まっていますし、荷捌き場など港湾の施設も建設中です。私はやっぱり、請戸がまた元気になって町の復興をけん引してほしいと思っています。

─────────────────────

FB代行運転サービス
住所:浪江町大字川添字佐野15-1
電話:080-2808-0281
営業時間:19時~23時
定休日:日曜・月曜

─────────────────────

2019年1月取材
文/写真=中川雅美

浪江町