岡おか 洋子ようこ さん | 浪江町

おか 洋子ようこ さん | 浪江町

浪江まち物語つたえ隊
OCAFE(オカフェ)

語り継ぐためにいただいた「紙芝居」という宝もの

生まれは福島市ですが、22歳で浪江町苅宿に嫁いできました。岡家は大規模に農業を営んでいて、コメは東京方面にも出荷していたんですよ。私は農業の傍ら自分の仕事を持ち、さらに浪江町婦人消防隊やPTAなどでも活動していました。

▲岡さんの田畑の一部。いまでも手入れが続けられています

東日本大震災が起きたときは、二人の娘と一緒にたまたま宮城県の名取市にいました。翌日なんとか浪江に戻ってきて、14日まで自宅にとどまったのですが、その後やむなく中通りへ避難。10日ほど福島市の実家に滞在したあと小さな借家に移り、そこに娘と3人で4年間暮らしました。主人はずっといわきに単身赴任でしたが、少し前に退職し、現在は福島市内に建てた自宅でまた家族4人で生活しています。

結婚後7年たってやっと授かった上の娘は、震災当時、介護福祉士として町の介護老人保健施設で働いていました。震災翌日は非番でしたがすぐに施設にかけつけ、そこから大勢の患者さんを連れて避難を開始したのですが、転々と移動するなか、途中で私に電話でSOSを出してきたことがありました。仕事を始めてまだ1年目、なんとかしなければいけないと必死に頑張りすぎたのでしょう。でもそのとき私は、「あなたならできるよね。大丈夫だよ」と突き放してしまったのです。あとから聞くと、もうフラフラで点滴をうっていたそうです。

その後、娘の同僚から「もう(娘が)死んじゃうから迎えに来てほしい」と電話がかかってきて、急いで南相馬へ迎えにいきました。突き放してしまったことを悔み、ああどうか死なないでと祈りながら。ところが、やっと顔を見た娘は「みんなを置いて帰れない」と言うんですよ。私の娘だなと思いました。それでも、良くなったらまた戻ればいいからと説得して、毛布にくるんで連れて帰ったのです。

そのときの話を紙芝居化したのが、「浪江まち物語つたえ隊」の演目のひとつ、「なみえ母娘避難物語『帰らない』」です。

「浪江まち物語つたえ隊」の活動は震災の翌年から始まっていましたが、私が参加したのは2014年のこと。浪江のために何かしたいけれど、何をしていいかわからない、焦りだけが募る状態だったところへ声をかけていただき、参加を決めたのです。やってみて、やっと「居場所を見つけた」と感じました。

▲紙芝居の上映(岡さん提供)

最初のころの「つたえ隊」の活動は、浪江に伝わる昔話などを紙芝居にして、主に仮設住宅を回って上演するものでしたが、そのうちに震災のことをもっと伝えていかなければと、地震や津波、原発事故避難にまつわる様々なエピソードを紙芝居化していきました。私自身の経験を基にした前述の物語をはじめ、請戸小学校の話、診療所の話、酪農家の話、消防団の話など、これまでに十数本が完成しています。昔話も含めると約30本のレパートリーとなりました。これらは現在、ご依頼に応じて全国各地で上演しているほか、「浪江町消防団物語『無念』」のようにアニメ化し、海外で上映会を行ったものもあります。

これらの紙芝居はもう何回も読んでいますが、毎回自分のなかで感じ方が違うんですよ。読みながらいまでも胸が一杯になって息苦しくなるときがあるほど。母娘避難物語も、完成後しばらくは読むことができませんでした。でも、この紙芝居という「伝える手段」は私が授かった宝物ですから、これからもコツコツと続けていきたいと思います。いま当たり前と思っている暮らしは決して当たり前ではないこと。家族の大切さ。そうしたことを私たちは伝えていかなければなりません。一方で、「つたえ隊」の活動のおかげで、震災がなければ生涯お会いすることのなかっただろう方々と多くのご縁をいただけているのは、本当に有難いことです。

※紙芝居やアニメの上演やについては下記までお問合せください。
浪江まち物語つたえ隊(代表:小澤是寛)
【電話】 0244-32-0270 / 090-4638-6052
【メール】 ozawa-yo@mountain.ocn.ne.jp
【URL】 https://www.facebook.com/namie.machimonogatari/

帰れる場所、笑顔になれる場所、「OCAFE」の誕生

苅宿の自宅には、避難開始後1ヶ月くらいして初めて戻りました。明日から警戒区域で入れなくなると言われて、急いで荷物をとりに帰ったのです。支給された白い防護服を着て敷地に入ってみると、もう何から手をつけていいのかわからず、悲しかったですね。その後も片付けには帰っていましたが、次第に獣害がひどくなり、ついに解体しようかという話になりました。そうしたら最初、娘二人は「目印が無くなってしまう」といって反対したのですよ。自分たちの生まれ育った場所が消えてしまうのは、耐えがたかったのでしょう。

それでも最終的に母屋は解体を決断しましたが、かわりに倉庫だった小さな平屋を改築して、寝泊まりできるようにすることにしました。浪江に住むことはできなくても、お墓参りで帰って来たときなど、やはり家族の居場所が欲しいですから。すると、コーヒー好きの娘が、ここを皆が集えるカフェのようにしたらどうか、というアイデアを出してくれたんです。そうして出来あがったのがこの「OCAFE」という場所。去年(2018年)5月に完成しました。

OCAFE入口

いまのところ飲食店として商売しているわけではないので、「営業日」は決まっていません。が、私たちがいるときは、いつでも気軽に立ち寄っていただければ、コーヒーやお茶でおもてなししています。そう、「OCAFEブレンド」というオリジナルのコーヒーも作ってもらったんですよ。

また、ここでミニコンサートなどのイベントをやることもありますし、集まる場所が欲しいという方には自由に使っていただいています。町民の方も外から町に来る方も、とにかく皆がここに集まって一息ついて、笑顔になるのを見るのがいちばん楽しい。無理をせず、浪江町のふるさとカフェとして続けていけたらと思っています。

ちなみに、カフェスペースの奥に設けた小部屋には、母屋から移した柱を使いました。そこに記されたキズは、小さな娘たちが背比べをしたときもの。「この家で生きた証を残したい」という彼女たちの願いは、その柱に込められています。

将来的にここに戻って生活するかどうか・・・それはわかりませんね。心は揺れています。ただ、以前のようにおいしいコメや野菜をつくる暮らしができなければ、難しいでしょう。それに、たとえいま営農再開したとしても後を継ぐ人がいません。そうした農地は他にもたくさんありますから、それらをまとめてやる気のある人にやってもらおうという案もありますが、高齢化が進む中ではそれも厳しいのが現実です。

そんなことを思うと、あらためて「なんということが起きてしまったのか」と無念の気持ちが沸き上がり、言いたいこともたくさん出てくるけれど・・・。でも、とにかく起こってしまったことはしかたない。私たちは前を向いて進むしかないのです。

2019年1月取材
文 ・写真=中川雅美