磯辺いそべ 吉彦よしひこ さん | 広野町

磯辺いそべ 吉彦よしひこ さん | 広野町

広野わいわいプロジェクト
出身:広野町

子育て世代が活き活き出来る町へ

震災の時大変だったことかぁ。私はそんなになかったかな。避難しないでいたからね。でも世の中に、自分の町が出た時のビックリはあったけど。震災があって日本中だけでなく海外からも注目を浴びて、支援を受けるようになったじゃない。そんなことは普通のことではないよね。
 
会社を辞めて地域の復興ごとを始めたけど、それまでは普通のサラリーマンだったからね。暮らしていたけど地域のことを見てこれなかった人間だったなと、今だと思う。いざこういった町の活動をやってきて、分からないことが沢山あるよ。あの時、町にいた人間は、私みたいな人間がいっぱいいたのだろうなって思う。

復興って、町それぞれで格差が生まれているなって感じる。ずっとやってきて思うのは、例えば、広野町で重機が動いているのは少ないし、工事現場が減ってきて普通の町になっていくと感じているけど、富岡町に目を向ければまだまだこれからの状況だしね。

今まで広野パークフェスを町役場と協働開催してきて、色んな人の力も借りながら単独開催もできるようなったけど、パークフェスは終了しようと思っているんだ。震災後、尾ひれはひれが着いて、“果たして町に人が戻れるのか”から始まったけど、“二つ沼公園に沢山人を集めて、町の状況を知ってもらう”という、その役目はひと段落着いたと思ってるのね。外向けに知ってもらうために、いっぱい人を集める、そんな局面は終わって、地域密着型のまるしぇとかを町中で開いて、町の人同士の繋がりを深めていくことをやる時期になったと思う。
今年(2018年)からもともと町にあった行事が2つ復活するから、震災で人が離れて途絶えていた行事が再開できるようになった。もともと大切にしなくちゃいけないことへ力をかけていこうと思っているんだ。

広野では震災後、沢山の支援を受けてきたけど、人様にやってもらうのが当たり前と思ってしまうことや、補助金漬けの状態が生まれているんじゃないかな。やってもらうじゃなくて、自分たちでやっていく、そうした気持ちが大切で、賑わいと生業づくりをNPOとかを立ち上げて自分達で作っていかないとね。
パークフェスを通じて、全国の大学生との繋がりが沢山生まれたんだけど、そういった縁を活かしていけたらと思うんだ。
今は広野町の米粉を使ったお菓子を開発しているの。うまく6次化出来ないかと思っていて、レシピをコンテンツ化してね。これから再開するJヴィレッジ、広野町の道の駅、福島空港とかでもいいよね、そういった場所のお土産になったらと思う。

広野町のいまの姿って町民が4000人くらいなんだけど、65歳以上の高齢者が全体の32%もいる。高齢者ばかりだけど、楢葉も富岡もそうなっていくと思うんだ。
私は、高齢者ばかりの町は、町そのものが存亡の危機にあると感じていて、老人のために予算や仕組みが作られていくことは必要だけど、それだけじゃなく、町が続いていくように子育て世代に予算がきちんと落ちて、子育てしやすい環境が整っていくことが必要だと思っているんだ。若い人達が定住していかないと状況は変わらないからね。この辺でさ、お母さんたちが子供を預けられて、昼間に遊びに行けるような場所が出来て、ただお茶のみして、楽しくしゃべれる場所が出来たりね。
未来的なことを行政にも考えて欲しいし、自分は、行政のやっていること、手が届かないところを見つけて、そこをやっていこうと考えている。
地域全体の困っているところを探し続けて4年になるけど、どうしたら良くなるだろうとブツブツ考える毎日だよ。

地域の活動をしていると、若い人たちが少ないと感じるね。若手の人が町に出てくれたらなぁって思うけど、生活に追われている中で、町のためにというのはなかなか難しいかもしれないね。町のために何かやろうと呼び掛けていくのではなく「遊びに来たら」と気軽に参加できるイベントを作ったりしなくちゃいけないのだろうね。気軽な形で関わってもらえるような仕組みがないと、若い人達は出る気にはなれないよね。
 
「15,6年経ったら・・」なんて考えるよ。自分も歳をとるわけじゃない。今の様に動けるとは限らない、そんな時が来る前に、みんなでこの地域を良くしていけるレールづくりをしていってね、後に繋がる人たちを作っていけたらって思う。その為には、若い人たちの声を聴いてそれを叶えられるといいよね。若い人達だけのシンポジウムを開いてみたりして、自由に今の悩みを気軽に言い合えたりするといいのかな。上の世代が頭ごなしに抑えつけるようなことがなくね。
 
震災から7年でしょ(取材時は、2018年)。子供たちはどんどん避難先で大きくなっていく。避難先で生まれる子たちも増えていく。そうした子たちにとっては、自分が過ごしたところが故郷と感じるだろうし、いくら大人たちが「ここが故郷だよ」と言っても、実際にそう感じてくれる子は多くないんじゃないかな。だから、この地域で子供たちが暮らせる環境が大切だって思うし、子育て世代が胸を張って暮らせる環境が必要だと思うのね。子供たちは双葉郡の宝だし、それって日本の宝、世界の宝でしょ。ここで育った子たちが双葉郡を誇りに思えるようなことをしたいし、定住人口が増えていって、年齢層・数が激変しないように地域がつくりあげられたらと思う。

2018年1月取材
文/写真:吉川 彰浩

浪江町