柴しば 孝一こういち さん | 浪江町

しば 孝一こういち さん | 浪江町

有限会社 柴栄水産
出身:浪江町

やるからには妥協せず、良いものを作りたい

私は明治43年に創業した柴栄水産の3代目として、東京の築地にメバルやアイナメ、ヒラメなどの活魚や、小女子などの加工品を卸す仕事をしていました。請戸漁港に水揚げされる魚類は「常磐もの」と呼ばれ、とても人気があったんですよ。

震災があった3月11日は、普段は2月から3月まで不漁が続くものなのですが、鮮魚や白魚が大量に水揚げされたので、加工場でパック詰めの作業をしている最中でした。地震のあとすぐに避難しろと言われたので、幾世橋にあった娘の自宅まで着の身着のまま避難したあと、双葉町で経営していた六角茶屋で一晩過ごしたのち、津島から川俣、西東京市や千葉市などで過ごし、2014年8月に南相馬市原町区に事務所を建て、その後住宅を建設し、妻と一緒に暮らしています。

私は現在、2019年より浪江町に建設予定の「水産工業団地」内の一画で営業を再開するための準備に関わる設計・加工機械業者との打ち合わせなどに追われる毎日を送っています。原町に自宅を建てた当初は南相馬での事業再開を目指していたのですが、漁港が新たに整備されたことや、漁師の方たちがまた浪江町で漁業を再開することになったので、町や漁業関係者のためにも、自分が先頭に立って動こうと決断しました。忙しい毎日を送ってはいますが、また会社を再開できることがとても喜ばしく、楽しい日々を過ごしています。

浪江町でまた事業を再開することに不安は全く無いですね。浪江町は一部避難区域も解除され、これから徐々に観光バスや帰還する住民などで賑わってくると思います。建設予定の施設にはお土産物や鮮魚、加工品の販売をするほか、休憩スペースも設置予定なので、町民やお墓参りなどで浪江町に戻られた方、観光で訪れた人たちのちょっとした憩いの場になればと考えています。やるからには妥協したくないし、良いものを作らないといけない。だから今が正念場ですね!

私はもうすぐ80歳になるので、一緒に仕事をしてくれる息子たちにしっかり仕事を引き継ぐためにも、とにかくあと3年は元気な体でいないといけないと思っています。だから今も毎日5時に起きて、自宅近くの公園に近所の人たちと集まってラジオ体操をしています。事業再開を知り、町内外の人たちが応援してくれているし、待っていてくれているので、その人たちのためにも自分の出来ることを精いっぱいやっていきたいです。

2017年12月取材
文/写真:S.T

浪江町