佐藤さとう 賢治けんじ さん | 広野町

佐藤さとう 賢治けんじ さん | 広野町

出身:広野町

震災当時の話はしゃべっちゃくない

震災当時の話はもうしゃべっちゃくないんだ、思い出すから。せっかく暮らしが落ち着いてきて良くなっていくのにさ。
ボランティアで事故とか震災のことを話すのは、昔話を話すのとは違うのよ。自分が体験したことを話すんだから、人が死んだ匂いとかも思い出す。
消防でよ、色々行ったのよ。放射能のあれで、請戸にもよ。1ヶ月も入らせてもらえなくてよ、ものすごく悔しかったのよ、一日でも早く出してやりてぇって。初めて入った時は警察の親分と泣いたよ。情けなくてな。

ふるさとで、叶えたい夢

広野に帰ってきてからの話でいいかい。

ここで生まれたんだもん、ここにいるしかない。あれ(きっかけ)もなにもないわい。住んでいて良い町だなっていう思いがあるの。
6年間いわきにいたけど、やっぱりここがいい。隣近所と付き合いが出来たけど、震災・避難でいったから、お互いに気を遣うこともあるし。
地元は好き勝手できる、帰ってきて全然違う。自分なりに何かがあるだな。何十年も住んでるから根付いているものがな。何十年、におい、空気を吸っている地元の強さがある。大した言葉に出来ないけど、生まれたとこってこと。こころの中のふるさとって大事にしなくてはなんね。ふるさとへの気持ちをなくしたらお終いだと思うよ。
他から来ている人を毛嫌いする必要もない。わがらのところはわがらでやらないといけない。

俺はこうやって元の家にいられるからいいけど、原発のことがあって戻れない人達がいるよな。戻りたくても戻れない人達がいることを考えると、本当にありがたいことだと感じてる。
賠償があって東京でマンションに住めたとしても、生活が便利になったからといって自分の生まれた場所っていうのは忘れないはず。おれはそう思う。生まれてから身に着いたものを、人間の心ってのは簡単には変えられない。
「田舎に帰っかな」となっても帰れない、その思いは補償なんかでは済まされない。人それぞれ取りかたがあると思うけど。物で満足するのは一時のこと、そん時だけ。それで満足していいのかい?それは満足とはいわねぇべ。

家族みんなでまとまっていけることがいちばん。ばらばらになったらさみしい。俺の夢は娘3人と一緒に住むのが夢だったんだ。一方的な思いだけどな。
ここにビルでも建ててよ、階層ごとにおらがいる、長女がいる、次女がいる、一番下がいる、そもそもの夢があったのよ。
面倒みてもらうつもりがあるわけじゃない。孫も娘も一緒にいられたらいいべ。1階はじっじ、ばっばがいてよ。
俺はそんな考えだったんだ、娘を中心に考えてた。今も思っている。会津から帰ってこいって、みんなでいっぺと。家族は一緒にいないとダメだと思う。わがままだけど、できなくたって俺はそう思う。
娘らはどう思ってるかは分からないけどね。娘らを放したくない、やっちゃくない、めんこいもん。母ちゃんには怒られたけど、皆で一緒にいたらいいべ。
夢があった。いや今も進行形なんだ。親としての欲だけど、一緒にいて欲しいのよ。
4階建ての夢、子供生まれてから40年ずっとなのよ。3人生まれた時からずっと一緒に住みたいなと。
ここで、育った場所じゃないと意味ないんだ。東京あたりでとか… 行く意味ない。
生まれた場所に、心に意味がある、根付いた思いがある、そんで死にてえなと。ただの夢だけど、そういうの無かったらダメだ。

住民一人一人の思いに復興が近づけるように

復興は自分らの復興。個人の心の復興がないと、それがベース、それが出来ればなんとでもなる。わがらがしっかりしていかないと。目に見える復興だけでなくて、時間はかかるけど震災受けた個人の心の復興はどこで立ち直すんだ、それは個人で立て直すしかないべ。 町から言われたから、県から言われたからじゃないと。
なにやっても上手くいかなかった5年前、震災後鬱になりそうになった。普通にしゃべらんなくなる。夜はねらんねぇし、自分との闘い・心との闘い、時間はかかっけど。 景色は変わっても、一人一人の心が変わっていかないと、戻んないと。
家流された人の気持ち、避難した人の気持ちは本当のところは絶対分からない。集合住宅で暮らす人達がいるんだど。わが家にいられるだけで幸せ、小さな家だけど。当たり前に暮らしている生活がありがたい生活なんだと思う。

これから先、復興ってどこまでいくんだろうなぁ。元に戻るってのはないからなぁ。もとに戻りたいっていう気持ちがない人はいない、住民一人一人の思いに復興ってものが近づけんのかなぁ。広野で一生暮らす人のことが優先であって欲しいと思うのよ。

取材日:2017年12月
取材・文:吉川 彰浩