大清水おおしみず 一輝かずき さん | 浪江町

大清水おおしみず 一輝かずき さん | 浪江町

居酒屋こんどこそ

あの日から営業再開まで

今年(2018年)9月5日、7年半ぶりに浪江町の「居酒屋こんどこそ」を再開しました。もとは昭和62年(1987年)に両親が始めた店で、最初からこの名前だったんですよ。親がそれまでの人生でなにか失敗をして、再起をかけるという意味だったようですが、実は命名したのは伯母だったということを知ったのは、つい先日のことです(笑)。

私は親と同じように飲食関係の仕事に就くつもりで、食品加工課がある農業高校に進学し、卒業と同時に名古屋の会社に就職しました。でもしばらくして、都会よりもやっぱり浪江がいいと気づいたんです。子供のころ、学校の部活で帰りが遅くなると必ず近所の人たちが声をかけてくれました。そうやって自分は町の人たちに育ててもらった。そんな故郷に戻って、両親の店を手伝い始めたのです。

東日本大震災が起きたとき、地元の消防団に入っていた私はまず屯所へ駆けつけました。しかし、翌早朝の避難開始で消防団は早々に解散。団員もみな家族とともに避難を始めたのですが、私自身は、うちの両親は大丈夫だろうと思って一人で別行動をとりました。もっと助けを必要としている人たちがいるはずでしたからね。それで、法被を着たまま消防団の可搬車に乗って(町民の最初の避難先だった)津島地区へ向かい、避難所になった津島分校で車の誘導をしたり、校庭にトイレ用の穴を掘ったり、とにかくその場で必要とされたことをやりました。

数日は大勢の町民とともに津島分校にいましたが、夜中も誰かが起きてないといけないだろうと思ったんですよね。新たに避難してくる人もいるかもしれないし。だから、昇降口に机を出して夜通し一人で座っていました。ときたま子供が「カットバンちょうだい」といって来たりしてね。15日にみんなで二本松市東和へ移動。その翌日、私は姉のいるいわきへ向かうことにして、11日の夜から一睡もしていない状態でハンドルを握りました。どうやってたどり着いたか覚えてないんですが、いわきの町並みを見て「あぁ帰ってきた、終わったんだ」と思ったら、涙が出てきて止まりませんでした。姉の家に上がって、用意してあったおにぎりとみそ汁を食べたのですが、食べ終わった記憶がありません。そのままソファで寝てしまったそうです。

浪江は必ず帰れるようになると確信した理由

実は以前、両親の店を手伝っていたとき、昼間は南相馬の測量会社に勤めていたんです。震災直後は各地で測量が必要になりますから、その会社から再び声がかかり、そこで働き始めました。一方で両親は、2011年10月には避難先の二本松で「こんどこそ」をオープンしていましたので、私は1年ほどで測量会社を辞して二本松へ移り、そこで再び家族で店を営むようになったのです。

ただ、私は初めから、避難指示が解除されたら浪江に帰って店を再開したいと考えていました。もちろん当時は、浪江がどうなるかなんてまだ全く見えない状態でしたよ。でも私は、どんな形でもいいから町で何かをやって、少しでも町の力になりたいと思っていました。店の利益だけ考えたら、福島や郡山に行ってやったほうがいいに決まってます。でもそれじゃ私にとっては意味がなかった。

それに、私には確信があったんです。いま支払われている多額の賠償金というものが、永遠に続くわけがない。そうでなければ国が破綻してしまいます。町全体の放射線量がかなり高い原発立地町は仕方ないかもしれないけど、浪江のような周辺の自治体に関しては、除染を進めて早晩、(賠償とリンクしている)強制避難を終わらせるはずだと。

私は(原発事故で被害を受けた)当事者の一人ですけど、自分のもらうお金が少ないとか、あちらと比べてどうとか、思ったことはありません。同じ日本という国の中では他にもいろいろなことが起きているでしょう?自分たちだけいつまでもお金をもらっていたら、必ずどこか別のところにしわ寄せが来るはず。いつまでも避難者として賠償・補償に頼り続けるより、町に戻って生業を再開して、自分たちで経済を回したほうがいいと、私は考えてきたのです。

それで、二本松の「こんどこそ」は親が続け、いずれ私が浪江に戻って店を再開するという前提で、準備を進めてきました。具体的には、町内で再開するにあたり従業員の確保が課題になるのはわかっていましたから、再開の半年前から2人を雇用し、二本松店で修業してもらいました。さらにその2年前から、二本松店で私の後任となる人も育ててきたのです。

カウンターに立つ一輝さん

今は最高に楽しい

浪江店では、初めてランチの営業もやっています。お客さんの数ですか?少ないですよ(笑)。現在、ランチは20~30食、夜も宴会がないときは平均3~4組かな。これを倍にするのがとりあえずの目標です。採算的にはもちろんまだ厳しいですけど、それも想定内。やりくりする大変さも含めて、今は最高に楽しいですね。なにが楽しいって、ご飯を食べに来た作業員の皆さんが笑ってくれることですよ。

帰ってきたご年配の町民が「なつかしいね」と言ってくださるのは、もちろんうれしい。でもそれはある意味、あたり前ですよね。一方、いま実質的に町をつくってくれているのは、役場職員に加えてさまざまな工事関係者や作業員の人たちです。この人たちががんばってくれなかったら町の復興はないわけですから。彼らにここでほっと笑顔で一息ついてほしいんです。

私はもともと「地元の人」だけを相手に商売しようとは思っていません。そもそも元の町民は帰還したくてもできない人がほとんどでしょうから、むしろ新しい人が来て、新しく作る町であっていいと思います。その中で「こんどこそ」は、他所からもわざわざ来てくれるような店、そして今のお客様が1年後も来店し続けてくれるような店にしたい。それって飲食店としては当然の経営努力でしょう。(被災地ハンデを克服するための)経済的援助が全く必要ないとは言いませんが、全面的にそれに頼るくらいならやらない方がいい。

うちは「居酒屋」と書いてあるから、夜はお酒を飲まないと悪いんじゃないか、と思われる方もいらっしゃいますが、そんなことはないですよ。4種の定食メニューは一日を通してお出ししていますから、運転する方も、どうぞ晩ご飯だけ召し上がりにきてください。どなたでも、ここでおいしいご飯を食べて、あったかい気持ちになって笑顔でお帰りいただく。それが私の目指す居酒屋「こんどこそ」です。

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居酒屋こんどこそ(浪江店)
住所:双葉郡浪江町権現堂新町8-2
電話:0240-34-4288
営業時間:昼11:00~14:00 夜17:00~21:00
定休日:毎週日曜日・月曜日

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2018年10月取材
文 ・写真=中川雅美