社殿再建がついに実現
浪江町北幾世橋(きたきよはし)の相馬妙見宮初發(しょはつ)神社は、元禄時代に相馬公が各地に建立した初發神社のひとつです。田村家が宮司(神主)を務めるようになって私の父で5代目。現在禰宜(ねぎ)である私は6代目となります。
東日本大震災で甚大な被害を受けましたが、多くの方々のご支援を得てついに社殿再建を果たし、去る3月17日には竣工祭を行うことができました。この機に幾世橋芸能保存会の神楽も復活して奉納することができ、地域の復興に一歩踏み出せたように感じます。当日は、假屋崎省吾さんによる奉納生け花や雅楽演奏などのステージイベント、そして縁日も開催し、境内に8年ぶりで子供たちの声が響いたのは何よりうれしいことでした。
神職を継ぎたくなかったはずが
地域の鎮守神を祀る神社とは、地域の人々の心の拠り所でもあります。その社を守る宮司職は、例外もありますが基本的には世襲です。ただ、私たちのような地方の小さな神社では、お祓いや安全祈願など神職としてのご奉仕だけで生活できる人は少ないのが現状で、他にも仕事を持っている場合がほとんどです。私の父も平日はサラリーマンをして、出勤前や休日に神社のご奉仕をしていました。例祭や盆踊りも開催していましたし、正月などはいちばん忙しいわけです。休みなく働く父を見て育った私は、やりたくないなと思っていました(笑)。それで、双葉高校卒業後に東京へ出て、しばらくいろんなことをしてみたのです。
でも頭のどこかで、「いつかは継がなければ」と思っていたんですね。神主資格をとるため夜間大学に通いながら、昼間は都内の大きな神社でご奉仕することになって、私はそこで神主という仕事に理屈でない「やりがい」を見出すことになりました。人々の願いや思いを聞いてくださるのは神様ですが、その間を取り持つ大事な役目を担うのが私たち。念願が叶って喜ぶ人々の姿を見るうち、やはりこの仕事でやっていこうと決心したのです。卒業して神主資格をとった後は、いわき市の飯野八幡宮に奉職しました。浪江の初發神社に戻る前の、いわば修業ですね。24歳のときのことでした。
ひと月で6か所を転々
やがていわきで神職を続けながら浪江に戻り、初發神社の神事も一部担うようになりましたが、東日本大震災が起きたとき、私はいわきの方でお勤めの最中でした。地震の後片付けをしているうちに浪江のほうも大変だという情報が入り、16時ごろにいわきを出発。(海沿いの)国道6号は陥没などで通行できず、山の道を通ってやっと浪江に到着したのは夜中の2時でした。
翌朝からの避難で私たちは、ひと月のうちに(浪江町)津島、(南相馬市)原町、飯館村、福島市、仙台市、さらに白河市と、転々としたのです。どこも親族を頼って移動したのですが、やはり一般家庭に家族でお世話になるには限度がありますでしょう。白河でやっと空き家を見つけて入居し、長女はそこで小学校の入学式を迎えることになりましたが、翌年には再度いわき市内の借上げ住宅に引っ越しました。長女も今では中学3年になり、小3、小2の弟妹たちと一家で暮らしています。避難先を転々とする中でも、私の両親を含め家族がバラバラにならずに済んだのは不幸中の幸いでした。
再建はゴールではなくスタート
震災の直後は放射能に関する正確な情報がなく、北幾世橋のあたりもダメなのではないか、もう戻れないのではないかと、どん底の気持ちになりました。でもその後、この周辺は比較的汚染が少ないことがわかり、また全国の若い世代の神職で構成される「神道青年会」の皆さんから惜しみない支援と励ましを受けるうち、必ずや神社を再建しなければという気持ちに変わっていったのです。
再建を決意してから、資金調達の課題はもちろん社寺建築専門の宮大工さんの手配、資材の高騰など多くの困難がありましたが、県や町、氏子の皆様、関係者の方々のご支援でここまで来られたのは本当にありがたいことです。でも、よく言われるように、これはゴールではなくスタートに過ぎません。
震災前の初發神社の氏子さんは300世帯ほどでしたが、上述の通り、その氏子さんを基盤とした社入(神社の収入)だけでは厳しい状態でした。それがさらに減ってしまったのですから、今後はさらに難しいでしょう。特に若い世代が戻らない・戻れない中で町の20~30年後を考えたとき、課題は少なくありません。現在、私と両親は月のうち半分くらいを浪江で過ごしていますが、では妻と子どもたちを連れて今すぐ浪江に引っ越せるかといえば、それは難しいのが現実です。
でも、私たちはやはり神様にお仕えする身。その神様の社を荒らしたままにはしておけません。幸い社殿の倒壊はまぬがれ、ご神体も無事でしたので、この場所を将来につなぐために再建を決行したのです。以前のようなコミュニティの拠り所として、たとえ小規模でも例祭など今までやってきたことを復活させ、焦らずできることからやっていきたい。そして、神社の復興だけでなく故郷の復興に寄与していきたいと思っています。
文・写真=中川雅美
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