双葉には帰れないし、帰らない。だからこそ何か形として残しておきたい
私は双葉町で接骨院を営む家に生まれ、高校時代までを双葉町で過ごしました。小さい頃からピアノやバイオリンなど音楽に親しみ、高校からはギターをはじめました。友人とコピーバンドを結成して、相馬市民会館などでライブイベントなんかも開催して、とにかく楽しかったです。当時は高校生ながら、一人でチケットを100枚手売りすることもあったんですよ。高校卒業後は音楽の勉強をしようと、東京の専門学校に進学しました。
震災当時私は東京に住んでいましたから、テレビで地震と津波、原発事故の情報を得ながら、家族の居所を探すためにパソコンで避難所の情報を調べ続けました。
それでも家族の安否さえ分からず町役場に電話をかけたんです。そうすると、(実家のある)新山地区の避難所に指定されていた公民館は地震で崩れてしまったこと、他の避難所の名簿にも家族の名前がないことを伝えられました。電話口の方に「名簿に名前がないということは、そういうことでしょうか」と尋ねると「ごめんね」とだけ返答があって、そのときばかりは、もう生きていないかもしれないという思いが頭をよぎりましたね。
実際のところ、家族ははじめ双葉中学校に避難したものの、名簿の処理をしないまま12日早朝にそこを出たようです。その後は、親戚などを頼りに原町・山形・猪苗代を経由して東京方面に。連絡がとれたのは震災から4日後のことでした。
化粧品を届けながらの情報収集
家族が江戸川区にあるおじの家に避難していると知り、アパートから自転車で駆けつけました。そこで何か欲しいものはないかと聞くと、母が「ファンデーションが欲しい」と言うんです。聞いた瞬間は、はあ?と思いましたが、なるほど、避難するとき女性は化粧品を持ってこなかったのだなと気が付きました。お化粧直し用のパウダーなどは持ち歩いても、化粧下地から全てを持ち歩いているという人はなかなかいませんからね。
それから、化粧品を支援物資として集めることにしました。リップクリーム・眉ペン・ファンデーション集めていますなどと紙に手書きして、知り合いが経営するバーや薬局に貼らせてもらいました。
そうするとなんと、以前働いていた会社の社長が偶然それを見て連絡をくださったんです。退職してから10年も経っていたのに「前にうちで働いていた矢口さんだよね」と。その会社はセルートというバイク便の会社で、化粧品やタオルなどを販売するMIMOI(ミモワ)という部門もありましたので、化粧水を提供していただくことになりました。その後も、全国から集まる物資を置くのに会社のスペースを貸していただくなど大変助けてもらい、今でも感謝しています。
集まった化粧品は、双葉町民が多く避難していた加須市の避難所やいわき市の仮設住宅などを回って配りました。私が行くと、懐かしい顔が見れたと、旧知の人が喜んで声をかけてくれましたね。そういう会話の中では、後に始める動物保護に関する大切な情報が得られるということもあり、自分の足で物資を届けることを続けました。
町に残された猫を助けに、避難指示区域内へ
私の実家では昔から猫を飼っていて、震災が起きたとき私は、家族はもとよりその猫たちもとにかく心配だったんです。震災後はじめて両親と電話が繋がったときの第一声が「猫は?」でしたから。
震災当時7匹いた猫たちを迎えに行こうと、事故後初めて双葉町に入ったのが2011年の4月1日。その時は、行きたくないと言う兄を半ば強引に連れて二人で入域しました。
双葉町の実家に行くまでには3回検問があり、どこ行くの?もうみんな避難しているよ、という風に声をかけられるんです。その度にいろんな理由をつけて検問を通過しました。
今思うと、検問にいたのは警察官だったのか、原発関係の作業員の方だったのか… あの人たちが誰だったのかはわからないのですが、原発近くの検問ほど若い人が立っているのには驚きました。原発が爆発して間もないあの時期、1Fに最も近い検問には高校を卒業したばかりのような若い男の子が立っていました。そして「どちらに行かれるんですか」と聞くので、家に行きますと答えたら、「そうなんですね。僕ずっとここに立っているんですけれども、誰も来ないから寂しくて」って言うんです。そう話す彼に悲壮感はなく、わたしたちを見て、久しぶりに人を見た、暇だったんですよ、って嬉しそうに。その光景を思い出すと今でも涙が出ます。あの時、大人はどこに行っちゃったのかな。1番衝撃的だった出来事のひとつです。
警戒区域に残された動物たちを助けたい
それから、警戒区域内に残された動物たちを保護するために、毎週末東京から福島へと通う生活が始まりました。震災後、人間の生活の復旧・復興ばかりが優先されていくのを見て、動物たちを助けたいという思いが募りました。
動物たちを保護していくためにまず考えたのは、警戒区域内には食べ物がないので、保護する前に彼らが餓死してしまうかもしれないということでした。そこで「大量の餌が必要です」とブログに書くと反響があり、全国から餌や物資が届きました。
猫は暗いうちに移動し、明るくなるとあまり移動しなくなるという習性があるので、それらの餌を持って夜明け前に入域して捕獲器を仕掛け、日が昇ってから仕掛けを見に行く。そんな地道な保護活動が続きました。
我が家の猫は、およそ半年かけて7匹みんなを家族のもとに連れて帰ることができました。はじめ保護した猫を両親のもとに連れ帰ったときには、母が「お前何やってんだ、被曝すっぺ」と激怒する横で、父は猫を抱いて「元気でよかった」と涙を流していたことを思い出します。それから、私のところには「うちの猫も探してほしい」という依頼がしばしばありましたので、飼い主さんが探している目的の猫を捕獲できたときには、それはもう嬉しかったですね。
その反面、保護活動を続けていくのには葛藤や悩みも多くもありました。
目的ではない猫が捕獲器に入ると、まずその子が飼い猫かどうかを調べなくてはいけません。お腹を見て手術痕があるかないかを確認します。それから、そうして捕まえた猫は飼い主を探すのですが、飼い主が見つかるまでの間は一時預かりしてくださるボランティアさんに保護してもらうことになります。しかしながら、猫の飼い主や譲渡先が見つからないと預かり先がパンクしてしまうので、多くは保護できないという難しさが付いて回りました。
それでも私は、一度捕まえた猫を、人間の住んでいないあの地域にまた離すことができなくて。時には他のボランティアさんから「迎え入れる場所がないのに保護してどうするんだ」と叱られ、揉めることもありました。
さらに、無事に飼い主が見つかったとしてもトラブルが起こることも。一時預かりしてくださる方の中には、保護していた猫に愛着が湧いて、飼い主さんにお返ししたくないとおっしゃる方もいて、もとの飼い主さんに我慢していただくこともありました。もとの飼い主も離れたくて離れたわけじゃないのにと思うと、何とも言えない気持ちになりますね。
およそ1年間集中的に保護活動に取り組み、その後は後方支援に回るようになりました。保護活動をしていた頃から7年経ちますが、今でもまだ続いているような感覚がありますね。旧警戒区域の中では今も、保護されずにいる動物たちの子供が生まれ、第二・第三の世代が育っています。その子達を保護したり、餌やりを続けているボランティアさんもいるんですよ。
故郷・双葉町への思い
私は2016年4月に夫といわきに引っ越し、その年の12月に長男を出産しました。
私、警戒区域に頻繁に立ち入りしていた頃にホールボディカウンターで内部被ばく検査をしたことがあるんです。結果は健康に影響がないとされる数値以下でしたが、検査をしたことで「私、子供産めるかな」と急に怖くなったことがありました。そんなこともあり、長男が無事に生まれてきてくれたのには安心しましたね。今、お腹の中には第二子を授かっています。生まれてくる子供の名前は「ふたば」とつけようと考えています。
双葉町は思い出のいっぱいある場所ですが、なんというか、私の中ではダムに沈んだような感覚なんです。富岡や浪江と違って、双葉はもうね、帰れないし、帰らない。だからこそ何か形として残しておきたいという思いがあります。
文=鈴木みなみ
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