関せき 孝男たかお さん | 川内村

せき 孝男たかお さん | 川内村

株式会社 あぶくま川内 いわなの郷

川内村から、里山の楽しさを伝えられるような活動をしていきたい

私は埼玉県出身で、震災当時は埼玉県内の小学校で教職員を勤めていました。当日は丁度テストをしている最中で、校舎も大分揺れましたがそのまま授業は続行した記憶があります。勤務していた学校は駅に近い場所に有ったため、当日の夜は駅が封鎖されたために移動ができなくなった帰宅困難者を学校側で受け入れたりもしました。
私が住んでいた地域は比較的震災の影響が少なかったため、計画停電くらいしか直接のあおりは受けず、翌週には通常通り授業が再開されました。

私が福島県に移住しようと思ったきっかけは、2013年にNPO法人エティックさんが募集していた被災地ボランティアの説明会に参加したことからでした。2012年の途中、自分の力不足から小学校を退職していた私はその後も様々な職種を転々としていたのですが、どれもしっくりとは来ず、先が見えない状態だったのです。
私はサンボマスターが大好きで、ボーカルの山口さんの出身地でもある会津などには震災前から良く遊びに来ていました。そんな経緯もあり、いつかは被災地に足を運びたいと思っていたときにエティックさんと出会い、募集地域の一つであった川内村での活動を決断しました。
今にして思えばこの決断って、自分が変わりたかったってことが一番大きかったかな。「困っている人を助ければ、自分自身の居場所が作れるんじゃないか。」という思いが、私の中に有ったのだと思います。

川内村への移住と人生観を変えてくれた、師匠との出会い

いわなの焼き加減を確認する関さん。いわなは40分間かけてじっくり焼き上げられるそう。

私が初めて赴任したのは、当時村民の多くが避難生活をしていた郡山市内の仮設住宅に併設された「あれ・これ市場」でした。それが2013年9月のことです。その後2014年の1月からは本格的に村内での活動が始まり、同年6月より「いわなの郷」職員に配属され、今に至ります。

福島県に来た当初、私は正直村の方たちから必要とされていないなと感じることが多く、何度も心が折れそうになりました。だけど、自分なりの意地でしょうかね。どうせやるんだったら3年間はどんなに辛くたって頑張ろうと思っていました。その頃はずっと帰りたいなって思っていたのも本音ですけどね(笑)
だけど今、そんな思い出を笑い話として話せるのも、確かに嫌な思いも沢山しましたが、それ以上に得るものがとても多かったからです。
「いわなの郷」ではいわなを調理する際、炭火でじっくりと焼き上げるのですが、その炭焼きを学ぶために村内の炭焼き師匠からご教授をいただきました。その中で彼の人柄に触れ「ああ、こういう生き方もあるんだな」と考えさせられることがとても多かったのです。
師匠はとても大らかな方で、どんなことでも「いいよ、いいよ」と受け入れてくれました。小さな集落で生きていくための知恵だったのでしょう。何かをお願いする際、断られてしまうとまた次の人を見つけるのに骨が折れる。だったら、自分が何とかしようという思いなのかもしれません。事実、村外から来た私のことも快く受け入れてくれ、自分の生き方を肯定された気持ちになりました。
元々私は前職で挫折を経験したこともそうですが、五感を閉ざして生きてきたんですよね。問題を見て見ぬふりをしてしまうという体質が、長年の経験からしみついてしまっていたんです。
師匠の元を訪れたのは2015年。前述した通り3年は川内村で頑張ろうという決意のもと「ラストチャンスならやることやろう」くらいの感覚で赴いたのですが、やってみたら本当に面白くて。そこから炭焼きが楽しいと思えるようになったんですよね。
かつて川内村は炭の生産量日本一だったこともあり「いわなの郷」の地名も“炭焼場”と名付けられています。こんな歴史的に価値のある場所を活かさない手って無いじゃないですか。
そのため私は現在、炭焼きを復活させるために様々な活動を行っています。

川内村でやっていきたいことと、これからの課題

釣り上げたいわなを現地で味わえるのも「いわなの郷」の醍醐味。

ただやはり、川内村も東日本大震災の際、放射能が降り注いだ地域でもあります。そのため、村内の木を使用するとなると放射能基準値に収まらなければならず、課題が山積している状態です。
もともと私が「いわなの郷」に赴任した際、お客さんがほとんど来ない状況が続いていましたが、県外での即売会などで「炙りいわな」や「スモークいわな」、「いわなのアヒージョ」など、いわなの加工品を販売することにより周知されていき、徐々にお客さんが震災前の水準に戻りつつあります。
震災の影響もそうですが、少子高齢化の進む川内村では従来の価値観ややり方では、時代の変化についていけないと考えます。そのため、一つの方法として新たな村の一大産業として炭焼きも再興していければと思っています。
いわなを焼き上げる際、ピーク時には一日4俵(約60kg)もの炭が使用されます。現在はその炭を村外から調達している状態ですが、ゆくゆくは自分の手で焼き上げていきたいですね。
また、炭焼きの勉強を始めて知ったのですが、茶道の世界で使用される炭は少し特殊なため、需要と供給が間に合わないような状態が続いているそうです。それらを踏まえ、炭焼き再興の可能性はゼロではないんです。だからこそ、じっくりと時間をかけてストーリーを作り上げていきたいと考えています。

川内村に移住し、大変なことも沢山ありました。だけど、自分自身が抱える課題もはっきりしたように感じます。村には都会にはない、里山の楽しさや人との関わり方など、学ばなければいけないことが沢山ある、魅力的な場所です。
また、私が生き方に悩んだとき、村民の方がただ話を聞いてくれたことが有難かったし、間違いなく救われました。だから私は、川内村に来て良かったと思っています。
まだまだ自分自身に何が出来るかというのは模索中の段階ですが、これからも川内村の魅力を県内外の人に知ってもらえるよう、頑張っていきます。

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いわなの郷
〒979-1201 福島県双葉郡川内村上川内炭焼場516
電話:0240-38-3511
営業時間:9:00~16:00
定休日:火曜日 ※釣堀は冬季(12月~3月中旬)休業
公式オンラインショップ:http://www.abukumakawauchi.com/shop/products/list.php?fbclid=IwAR3FNKU4nw-YyKHjNw6YV6a9QrJs3rSI6cn3V0GI9ShKA6WC-JCnWBegVCc

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2018年10月取材
文 ・写真=S/T

浪江町