匿名とくめい 希望きぼう さん | 楢葉町

匿名とくめい 希望きぼう さん | 楢葉町

出身:楢葉町

家業を継ぎたいとも思うけど、優先すべきは子育て

震災当時、私は長女を出産したばかりで楢葉町の実家で子育てをしている最中でした。ちょうど震災のあった週末に嫁ぎ先である南相馬市で市営住宅の抽選を控えており、新しい生活をスタートさせようとしていた矢先です。
当日は地震が発生する少し前に母が勤め先から帰宅し、一緒にお茶を飲む準備をしていた時に防災アラームが鳴り、「そんなに大きな地震は来ないだろう」と思っていたら家が大きく揺れ、外に逃げようとも思いましたが凄い揺れのため動けず、家の中でじっとしていました。
自宅は瓦が落ち漆喰が剥がれましたが、幸い電気も通っていたし、井戸水をひいていたので生活自体はさほど困りませんでしたね。
しかし、震災の翌日に原発が爆発し、町から避難指示が出たので私と娘は母と私の妹と4人でいわき市の中央台に設置された避難所に移動しました。その後は栃木県や群馬県、東京都などに避難したのですが、私の妹が当時いわき市の高校に通学しており、学校が再開されることになったので、4月には父が用意してくれた借り上げ住宅に親族10人くらいと一緒に住み始めたことで、いわき市での生活が始まりました。

南相馬市にあった主人の会社は震災で機能停止状態になり、停職扱いとなっていましたが、一緒に暮らし始めたいわき市で正社員としての再就職が決まったことや、私自身、親族が沢山居る場所で精神的に安定した状態で子育てをしたいという気持ちがあったのでいわき市へ移住を決断し、2013年に市内に家を建て、家族3人での生活を始められたときはやっぱり嬉しかったですし、今は3人の子宝にも恵まれたので、とても幸せです。

私は自営業をしていた両親の後を継ぐことも考え、家業に関わる勉強をするため短期大学にも進学しました。今でも両親が高齢になって動けなくなったら後を継いでも良いかなと思っています。
しかし、震災当時乳飲み子だった娘には、楢葉町で生活した記憶がありません。この子たちはいわき市での生活が当たり前なんですよね。それを私の都合で壊してしまうのは正直違うかなと思います。子供たちが築いてきた人間関係を壊すつもりも無いですしね。
だからもし、私が楢葉町に帰るとしたら、子供たちに今の家を預けられる20年以上先のことだと思います。
ただ、楢葉町に私だけ通って家業を手伝うということも考えていますが、子どもたちもまだ小さいし、自分が年齢を重ねたときに楢葉町といわき市の往復の辛さを考え、色々迷っています。

2018年5月取材
文/写真:S/T

浪江町