出身:楢葉町
世の中に必要のない事柄は一つもない。だからこそ、全てのことに感謝を
私はもともと長野県の出身で、35年以上前に東京電力の社員として福島第一原子力発電所に配属されました。縁あって家内と出会い、彼女の生まれ育った楢葉町に居を構え、息子2人と4人で生活してきました。
震災当時は第一原子力発電所の発電部門に所属しており、大きな揺れがあったときは2階にあった事務所に居ました。机の下に隠れたのですが物が散乱し吊り天井が剥がれ、「このまま建物が崩れるんじゃないか」と思いましたね。また、息子も当時は下請け会社で、発電所内の4号機タービン建屋内で作業をしており、避難命令が出て坂道を駆け上がっている際、後ろを振り返ると津波の第一波が押し寄せてきたのを見て、とても怖い思いをしたと語ってくれました。
私はその後、免震重要棟で避難待機状態だったのですが、震災2日後に所属の上司から避難するように言われ、楢葉町の自宅に帰りました。家族の避難場所がわからなかった為に、自宅に待機している時、実家である長野県の弟から家族がいわき市の親類宅に避難したとメールが入り、そこでやっと家族の無事を確認。その後知人の紹介で会津東山温泉の新瀧に避難したのですが、その2週間後にまた発電所から招集がかかったため、いわき市四倉町に家族の居場所を確保して、4月初旬には再度福島第一原子力発電所に戻り、早期定年を迎えた2013年7月いっぱいまで東電社員として勤め上げました。
この地で店舗を構え、様々な方たちと関りを得た
私には定年前から東洋医学による整体施術に興味があり、定年後は整体師として働くという夢がありました。そのため、いわき市にある「東洋医学研究学院 いわき校」に仕事を終えてから通い、2014年に現在店舗を構えている草木台の「小桜ファミリー整体院&カフェ」を仮オープン。
整体院を私と長男が、カフェを妻が運営する形で開始する予定だったのですが、2013年に妻が左被殻出血(急性脳出血)を発症し、右半分が麻痺した状態になってしましました。発症時には医師から「もう話すことも歩くことも出来ないだろう」と言われましたが、家内自身の努力の甲斐もあり、現在は自力で歩くことも話すこともでき、人並みに生活を送れています。
また、家内の精密検査をした際、初期の糖尿病が見つかったため、現在は栄養学の勉強もして食事療法をしています。それらの知識はお客さんへのアドバイスにもなっているので、楽しく勉強を続けることが出来ています。
私たち家族は、今後もいわき市で生活していきます。現在の場所に整体院兼自宅を構え、固定のお客様が付いたこと、また、家内の通院の兼ね合いもありますしね。
私はこの地で店舗を構え、様々な方たちと関りを得たことに大いに意味があると思うんです。今後も家族と一緒に出会いに感謝し、大切にしながらニーズに合った施術をしていけるように精進していきます。
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小桜ファミリー整体院&カフェ
住所:福島県いわき市草木台2丁目4-1
TEL:0246-84-6267
営業時間:10:00〜21:00
定休日:水曜
https://www.facebook.com/kozakurafamilyseitai/
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文/写真:S/T
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