匿名希望とくめいきぼう さん | 大熊町

匿名希望とくめいきぼう さん | 大熊町

大熊町(楢葉町出身)

双葉郡はいつか帰りたいと思える、大切な場所

「自分たちが何とかしなきゃいけない」という主人の気持ち

震災当時、私は長女の幼稚園入園を控え、主人と娘2人の家族4人で幼稚園グッズの買い出しのため南相馬市の子供用品店に居ました。携帯の防災アラームが一斉に鳴り、大きな揺れが襲い外の駐車場に逃げ、揺れがおさまってから大熊の自宅に帰ったのですが、到着するまで3時間かかりましたね。
その後猪苗代に避難し、町が会津で幼稚園を再開すると聞いたので、長女を入園させるため会津の借り上げ住宅などに住み、2015年の春にはいわき市に家を建てて引っ越してきました。

私の主人は第一原子力発電所の運転員で、震災後一週間くらいで招集がかかったため、各地に避難した同僚と一緒にまた原発へ向かいました。正直、原発があんな状況だったから行ってほしくないって気持ちは強かったのですが、「自分たちが何とかしなきゃいけない」という主人の気持ちを汲み取り送り出しました。でも慣れない避難生活と、これから自分たちはどうしていけば良いのか分からずに悩んでしまい、ちょっとのことで子供たちに強く当たってしまうこともありました。

いわきでの生活

いわき市に引っ越してきた理由は、主人の仕事関係が一番大きかったと思いますが、当時私の両親もいわき市の仮設住宅に住んでいて、私自身も地元が近く、どこかのタイミングで引っ越したいと考えていたからです。ここでの生活は何の不便もなく、新しく知り合いも出来たので楽しいですが、我が家は小さい子どもも居るので何かと騒がしく、一軒一軒の距離が近いいわき市の住宅事情を考え、気を使いながら生活するのが正直疲れちゃうときもあります(笑)。

私は楢葉町で生まれ育ち、小さい頃は毎日友だちと一緒に自然の中を走り回るような生活をしてきたから、今の子供たちって窮屈だろうなー。なんて考えたりもします。私と主人だけだったらぶっちゃけ、楢葉に帰りたいなって思うこともあるけど、子どもたちが仲の良い友達も増えていわき市での生活が普通になっているのに、わざわざそれを壊してしまうのも違うよなって思うし。もし地元に帰るとしても、子どもたちが大きくなった老後かなーなんて二人で話したりはしますよ。だから、楢葉町に戻った両親が住む実家に帰ったときは、近くの田んぼ道などを子どもたちと一緒に散歩したりするのが今は楽しいですね。

2018年4月取材
編集者:S/T

浪江町