出身:富岡町
町民のために全力でがんばること、それが自分の使命
富岡町役場に入ったのは1998年で、その前までは、仙台でホテルマンをしてました。
農家の長男なので、家督相続しないといけないってことで、富岡に戻ったんです。実家は兼業農家で、野菜を全般に作ってて。消防署の裏にJAの直売所があって、そこにちょこちょこ運んでました。
2011年は福島県の県職員として、原町の「南相馬合同庁舎 相双地方振興局」っていうところに出向してて。そこの県税部に1年いて、ちょうどその年の3月に任期を終える予定だったんです。
3月11日は、午後から富岡保育所の役員会があって、午後から早退したんです。運転中にグラグラっときて、ちょっと大きいな~と思って。でも富岡保育所の役員会に間に合わないといけないし、なにより娘が心配だったので、富岡に向かいました。
でも6号線が途中で落っこっちゃってて、迂回して浜街道通ったんですよ。カーラジオもつけてなかったし、まさか津波がくるとは思ってなくて。みんなラジオ聞いていたんでしょうね、道路は空いていて奇跡的に津波が来る前に通り抜けられました。
富岡に戻って、でもその時は一時的に県職員だったので、自分の指揮命令系統は福島県なんですよ。だから役場に行っても、誰の指示を受けたらいいか分からない。当時のキャップ(上司)にようやく繋がった電話で「県の規定で、とりあえず出勤できない時は、地元のボランティアに参加してください」と指示を受けました。
それで地元の消防団員として、消防団の指揮系統のもとで動きました。夜中自分の住んでる地区の93件の家、全部ピンポンしてまわりました。「生きてるー?みんな大丈夫―?」って言って。
富岡町に避難命令が出たのが翌日の朝で、富岡町民は川内村に避難することになりました。川内でも消防団として「いわなの郷」で避難所の運営にあたりました。
でも食べ物もなにもなくて、みなさんパニックになっちゃって。そんな時、川内の住民が米とか食料になるものを持ってきてくれて、それでみんなで空腹をしのぎました。だから、川内の人には頭上がんないですよ。
そんな中、福島第一原発が爆発した映像をテレビで見た時は、みなさん腰を抜かしてしまって。3月14日には、ビックパレットふくしまに住民みんなで大移動しました。
家族には、「(奥さんの実家のある)秋田に行ってくれ、俺は公務でここに残るから」と伝えていて。でも三春の体育館あたりにいたみたいで、ようやく繋がった電話で説得して秋田に行ってもらいました。
自分も家族のもとに少し遅れて行って。でもここにいたらだめだっていう気持ちがあって、すぐに秋田からビックパレットに戻りました。
ビックパレットでは、被災証明書の発行をしてました。でも町民のみなさんパニックだし、ストレスもたまってますから… ガス抜きするとしたら、役場職員ですよね。職員は24時間体制だし… 小さい子どもがいるお母さん職員は、特に辛かったと思います。
ビックパレットに入りきれない人は、周辺の自治体に更に移動しました。大玉村が集会所を全部開放してくれたので、多くの方がそこに移動し、そこに入ってもらったんですよ。自分も住み込みで大玉村の集会所の運営にあたりました。
2011年の6月には、大玉村に仮設住宅が出来て、入居も始まって。でも住民同士のコミュニティは散り散りになったことで崩壊してしまっていたので、自治会の立ち上げまで大玉村に張り付きました。初期の段階でコミュニティを作らないと、これからの生活がぐずぐずになっちゃうので。
12月になって仮設住宅はほぼ落ち着いたので、富岡町の税務課に配属されました。ところがどっこい、課税の徴収ができる状況じゃなかったのもあって、一から手作業で、毎日深夜まで働いてました。大変でも、やる時にやんないとね。息抜きしつつ、楽しくやってました。
自分は1998年に役場に入ったときに、町長室で誓いを立てました。「町民のために、全力でがんばる」っていう誓い。それが俺の使命で、一番根っこの部分です。
形あるものだったり、壊れたものを直すのは復旧。復興っていうのは、人や、人の気持ちなんじゃないかな。建物みたいに工期があって、完成すればできましたーっていうものではなく、長い年月をかけてすこーしずつ、生活できる空間が出来てくればいいと思う。いきなりっていうのは出来ないので。こうして、地元に携わる人が少しずつ増えていって、少しずつ出来ることをやっていければ。あまり気合い入れてやると、息が続かなくなるから、すこーしずつね。
富岡の思い出 麓山(はやま)の火祭り
富岡の思い出は、「麓山の火祭り」っていう富岡伝統のお祭りですね。6年連続で参加してました。男たちがでっかい松明に火をつけて担いで、麓山神社の境内から山道を駆け上がって、祠(ほこら)まで行く。
松明に火をつけるので熱いし、やけどは当然するんですけど、それよりも重いのが大変!山を登って帰って、下のギャラリーに見せるまで燃えていないとだめなので、必然的に松明が大きくなっちゃう。ちなみに松明は自分で作るのが掟。2017年の富岡夏祭りでも、松明作って展示しましたよ。
是非皆様も、一緒に登ってみませんかー!
取材・文:渡辺可奈子
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