放射能の心配はあるけれど、あまり考えずに生活していきたい
(震災前)私は南相馬市小高区の出身で、結婚を期に大熊町に嫁いだので町で過ごしたのは震災までの約2年程でした。
震災当時は次男の出産を控えており、勤めていた浪江町の会社も2011年3月末に産休を取る予定で働いていました。大きな揺れが会社を襲い、社内には大きな機械も沢山あったので建物の中は危ないと思い、すぐに外へ逃げたことを覚えています。大熊の自宅に帰っても家の中が物で散乱しているうえ余震が続いていたので車の中で一晩過ごし、その後家族と町内のスポーツセンターや田村市に避難しました。
その際にやっと実家と連絡が取れ両親の安否は確認できたのですが、実家が川のすぐ近くだったため津波が逆流し祖母が流されたと知りました。父は未だに「あのときこうしていれば…」という後悔の念を抱えています。きっとこの思いは、誰もが持っているけど、答えが出ないものだなと考えています。
お腹が大きくなってからも仕事を続けていたせいかお腹が張りやすく、常に張り止めの薬を飲んでいたのですが、震災の次の日が定期健診だったため薬も無く、「こんな状況で陣痛が始まってしまったらどうしよう」と悩んでいた時、自宅向かいに住んでいたご近所さんのご厚意で、栃木県に所有していた自宅の離れに住まわせてもらえることになり、栃木県へ移動しました。震災などの心労が重なり切迫早産になったため病院に入院し、2011年4月末に予定日よりも少し早かったのですが無事出産を迎えられました。
栃木県では福島県の情報があまり入らず、現状を知りたかった私たちは同年の6月に白河市の借り上げ住宅に引っ越したのち、主人が勤める会社の事務所がいわき市に出来たのを期にいわき市に居を構えることを決断し、同年12月に引っ越してきました。乳飲み子を抱えての移動だったので、かなりバタバタしましたね(笑)
甲状腺検査をした際、私と次男には水疱が見つかり、私が受けた内部被ばく検査でも被ばくが確認されたので、今でも不安でいっぱいです。しかし、病院の医師から「放射能の心配をするより、今抱えている病気を治すほうが大事」と言われ、あまり考えないようにしています。
大熊町に対する思い…というより、私は、生まれ育った小高が大好きなんですよね。自分一人だったら今でも帰りたいくらいです(笑)
ただ、公共事業などにお金を一気に使うのではなく、帰還状況などを加味しながら、若い人でも住みたいと思える町づくりに取り組んで欲しいなとは思います。
相双地区は生まれ育った場所なのでたまに帰るとやっぱり落ち着きますね。愛着もあるし。でも、震災から時が経つにつれ記憶があやふやになっているのも正直な感想です。だけど、いつか帰りたいなという気持ちの間で揺れる自分もいます。
2018年2月取材
編集者S.T
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