佐藤さとう 幹治かんじ さん | 浪江町

佐藤さとう 幹治かんじ さん | 浪江町

元アトックス嘱託職員
出身:浪江町

自分が一番落ち着ける場所は、やっぱり“浪江町”

震災当時俺は、アトックスの嘱託社員として双葉町にあるヘルスケアーふたばで建物や空調設備を管理する仕事をしてたんだけど、地震があったときはプールの水が建物に回ってきたりして、何が何だか分かんなかったな。震災の次の日には川俣町まで施設のみんなと避難して、そこから一週間は利用者の身の回りの世話したりして一緒にいたんだ。それから避難所になっていたさいたまスーパーアリーナまで利用者を送り届けた後、東京に避難した家族にやっと会えたんだ。その後は郡山市の磐梯熱海温泉の避難所や本宮町の仮設住宅に住んだりして、今は2016年6月にいわき市の小川町に建てた家にばあちゃんと母ちゃん、息子夫婦5人の合計8人で生活してます。

浪江町に住んでた時は猟友会にも入ってたから猟犬も居たし山羊や鶏も飼ってたんだけど、震災一週間後に自宅を見に行ったら猟犬以外がみんな死んじまってた。そのあと猟犬が神奈川県のNPO法人に助けてもらって生きてたんだけど、老衰で1年後に死んじゃって、何とも言えない気持ちになったっけなぁ。震災後一年は猟銃免許も保持してたんだけど、仮設住宅では住所不定になっちゃって銃を所有しておけなかったから、持ってた猟銃3丁を廃銃して、免許更新も泣く泣く諦めたんだよね。

今も3日に1回のペースで浪江に通って、親戚から委託された分も合わせた6町分の田畑の手入れしてるんだけど、いつ行っても害獣の足跡だらけだよ。2017年からは畑で作物も作り始めたけど、全部食われっちまうんだよね。自分の作ったものとか荒らされんのはやっぱり嫌だし、浪江町の害獣被害があまりにも酷いから、わな猟の免許だけでもまた取ろうかと思ってんだ。

俺にとって浪江町は、骨をうずめるとこ。やっぱり浪江が一番落ち着くんだよね。90を超えたばあちゃんも浪江に帰りたくていっから、自宅のあった場所にまた小さい家建てて住もうと思ってる。地鎮祭も終わらしてあとは家建つの待ってる状況なんだけど、まだ着工できないのが現状だし、家を建てたからって言って病院も無いべし、ばあちゃん通わせるデイサービスなんかも無いから、その先はどうなっか分かんねぇな。若い人なんかは帰ってこねえだろうし、害獣問題にしろ、浪江は課題がまだまだ多いんだよね。んだげど、先のことばっかり不安がってたって仕方ない。とにかく今は、家が完成してから色々考えることにしてるよ。

(2017年11月取材)
編集者:S.T