菅野孝明さん/浪江町

菅野孝明さん/浪江町

「町民の声を第一に考え、(道の駅なみえ)オープンに向け町民の方を交えての意見交換会を何度も行いました。」

私は東京の大学を卒業後、建設関係のコンサルタントや学習塾の日能研を合わせて20年間勤めながら東京に居ましたが、平成23年(2011年)の震災時に、どうしても故郷に帰りたいという思いがあり、仕事を全部辞めてUターンしてきました。県内で仕事を探しているときにNPO法人ETIC.(エティック)の「右腕派遣プロジェクト」と出会い、そこで募集していた浪江町復興支援コーディネーターに応募し採用されてから、現在までずっと浪江町に関わっています。

浪江町の行政には6年間居り、防災集団移転促進事業の立ち上げを皮切りに、最終的には避難指示解除に至る1年前に約200の事業を全部ヒアリングし、解除に向けた事業の調整や予算取りなどを行いました。現在私が務めている「一般社団法人 まちづくりなみえ」は、本来であれば道の駅なみえを立ち上げるための会社だったのですが、高齢者が帰ってきてもシルバー人材センターなど活躍する場が無かったため、当時の馬場町長から「早く会社を立ち上げてほしい」という指示をいただき、コミュニティの再生事業などと合わせる形となり、平成30年1月に少し早めに会社が設立されることとなりました。

そしてようやく、構想から6年目の令和2年8月1日に道の駅がオープンしました。

役場での支援をしていた平成26年10月末、当時私は復興推進課に居て、課長から話があり、町長が道の駅を作りたいから構想を作ってくれと言われました。私はその話を聞いたとき、“どうしたものか…”と思いました。当時復興推進課と町長に言ったのですが「多分このまま(道の駅なみえ)を作っても失敗する。公共が建てて募集しても採算や継続性につながらないので、まずは人探しからしないといけないのではないか。」と言ったことは今でも忘れられません。

道の駅なみえは、町内の候補地として16か所が挙がり精査していったのですが、それと同時に人探しも合わせて行いました。町民の方が中心になってほしいという思いが一番強かったため、そのことが一番の課題となりました。

その方を中心に町の人たちが活躍できる場が作っていければという思いから、誰かいないか、と探していた時に、今の事務局長、菅家清進さんの名前が挙がりました。菅家さんは商工会の青年部で「浪江焼麺太国」を立ち上げたメンバーで、震災後は避難先の秋田県で道の駅に携わり、当時赤字だった道の駅を黒字にしたという話を聞いていたんです。そのため、私は「菅家さんに戻ってもらうしかない」と思い、(菅家さんに)町に戻ってきてもらうため、秋田県に何度か足を運び、(菅家さんが)一大決心をし、家族を置いて戻ってきてくれたのが平成28年のことです。

私一人ではこの事業はでませんでしたし、菅家さんにお任せすることでソフト面を大切にしながら進めてくれるだろうと考えていました。事実、菅家さんが上手く事業をまとめてくれたおかげで、今に至っていると思います。

「道の駅でありながら、町でずっと挙がっていた交流と情報の発信拠点として「道の駅なみえ」が創り上げられたのです。」

ハード的な面で一番難しかったのが候補地選びでした。場所的には現在の道の駅なみえの場所でしかできないという思いがあったのですが、実は国道6号線沿いにまとまった土地もあったんです。ただ、平成元年に洪水があった際に河川改修を行っており、旧河道の部分があり、建設コンサルタントをやっていた時代の経験から、河道沿いに物を建てるのは絶対ダメだという話をし、多少土地を買うのが難しくても、拡幅工事が途中で止まっていた114号線の道路と6号線、2つの国道を取り入れるほうが良いだろうという思いから、現在の場所を強く推して進めてきました。当初の予定から1年は遅れてしまいましたが、役場の用地関係の方に粘り強く頑張っていただいたおかげで、道の駅が無事オープンできました。

ただ単に道の駅を作ったのかというとそうではなく、平成26年の事業発足の際、どういう理由付けで国の交付金などが活用できるかと考えたとき、復興計画と紐付ける必要がありました。復興計画で進んでいるものをチェックし、消去法で残っていくものが何だろうと作業を進め、全く手が付けられていなかったのが(浪江町民への)交流と情報の提供だったのです。これをベースにしようと考え、道の駅でありながら、町でずっと挙がっていた交流と情報の発信拠点として「道の駅なみえ」が創り上げられたのです。

令和3年3月には、道の駅なみえに隣接する形で現在建設中の施設に、大堀相馬焼と鈴木酒造さんの店舗がオープン予定となっています。酒造を入れるというのは菅家局長のアイディアです。当初、道の駅でお酒出をしてもいいのかというお話しもありましたが、ほかには無いようなものと考えたとき、浪江町には長年培われてきた発酵文化があったため、酒造を入れるという話を進めてきました。

8月1日のオープンに向け、一番苦労するだろうと思っていたのが従業員の雇用でした。人が集まるのか心配でしたが、とにかく歩くしかないと、仙台や中通りと浜通りで何回も説明会を実施し、特にいわき市や南相馬市、浪江町で実施した際、避難されている浪江出身の人がかなり集まってくれ、とても嬉しかったことを今でも覚えています。

目標の人員が集まったおかげで、オープンに至り、特に浪江町のご婦人方からは「(こういう形で)料理がしたかった」という声をいただき、地元の人が働く意欲につながったのかなと思っています。

町民の声を第一に考え、オープンに向け町民の方を交えての意見交換会を何度も行いました。その声を取り入れる形で、施設内には井戸端会議ができる畳のある部屋が用意されました。また、温かいパンが食べたいという要望を受け、浪江町で昔から親しまれてきた高野菓子舗さんの名物でもあったコッペパンも再現したベーカリー店、請戸漁港の魚を扱うなど、町民の方々の意見をたくさん反映させていただきました。

「何よりも地元の方に毎日来てもらえるような道の駅なれればいいと思っています。」

オープンから3週間、予定を上回る形で沢山の方にお起こしいただき、順調なスタートとなりましたが、8月20日、従業員からコロナウィルス感染者が出てしまいました。

その日の午前中、私は町内で研修をしていたのですが、電話が鳴りっぱなしで、昼前に電話に出て、そこで(コロナの)陽性者が出たことを知り、仕事を切り上げ対応に当たりました。午後2時に道の駅なみえを全館閉館とし、保健所とのやり取りを行いました。

保健所から濃厚接触者についての調査依頼を受け、感染者と接触した人は、発症(8月10日)の2日前からリストアップし、保健所にリスト送り、2時間後に濃厚接触者が特定されました。(全てではなく今回の場合)10分以上対話した人。同じ場所に10分以上一緒にいた人を濃厚接触者とし、翌日PCR検査を受けた結果、全員陰性となりました。

保健所の検査はそこで終わりでしたが、(感染者)本人も感染拡大地域には一歩も踏み入れていないことや感染経路が不明なことから従業員が不安を感じていました。また、家族や友達から色々言われるだろうということは想定できたので、公共性を考えたとき、なんとかPCR検査を従業員全員に実施したほうが良いと決断しました。全員検査を受けることを決めたは良いのですが、受け入れてくれる病院がありませんでした。そこで、役場の健康保険課にお願いして探してもらった結果、平田中央病院で受けさせていただくこととなり、3日間かけ検査をしたところ、全員が陰性となりました。

駅舎は8月21日の夜には専門業者による消毒作業が行われ、駅前の本社も25日に消毒。26日から本社での業務が再開されましたが、この期間はバタバタと判断してきたな、と思います。道の駅閉館中も、全員に毎日1,2回連絡をとるよう部門長にお願いしていました。1日おきに状況が変わっていくため、情報を正確に伝えたいという思いと、それよりも不安が日々変わっていく可能性があるから(従業員の)その声を拾ってほしいということをお願いしていました。

従業員の家族が通う施設からは、「できれば検査をしてから来てほしい」や、「検査結果を提出してほしい」という声が上がったほか、ご主人が自宅待機になったという話を聞きました。そういった声も含め、経緯をまとめた書類を最初の出勤日に全職員に渡し、何か聞かれたらこれが全部事実です。これ以上の不安があったら全部聞くので、事務局に問い合わせるようにとお願いしました。

おかげさまで、8月31日に従業員の皆さんの入念な準備により、再オープンできました。従業員の皆さんは不安もあったかと思いますが、前向きに頑張ってくれたおかげで、徐々に来館されるお客さんも戻ってきて、小規模イベントなどを実施し、多くの人が来てくれることがとてもありがたかったです。

道の駅なみえは、浪江町の大きな拠点として活用しながら、これから人をどんどん呼び込んでいきたいです。しかし、何よりも地元の方に毎日来てもらえるような道の駅なれればいいと思っています。そして五感と成長を掲げています。これから復興していくのは浪江町だけではありません。どこかで終わりじゃなく、ずっと成長し続ける。そして変わり続けることが現在のテーマです。しかし、コンセプトはそのままではなく、変わってもいいという思いからスタートしています。不十分な点は沢山あるかと思いますが、皆さんのご意見や地元の人の話を取り入れながらますます変化させていきたいですね。

2020年9月22日 双葉郡コーリングオンラインミーティングにて談

菅野孝明さんプロフィール
1969年福島県川俣町生まれ。
建設コンサルタント、進学準備教育企業を経て、2012年NPO法人ETIC.の「右腕プログラム」浪江町復興支援コーディネーターに応募し採用される。
2018年1月に設立した一般社団法人まちづくりなみえ事務局次長

一般社団法人 まちづくりなみえHP

道の駅なみえHP