高橋たかはし 陽子ようこ さん | 浪江町

高橋たかはし 陽子ようこ さん | 浪江町

子供の意思を汲み取りながら、今後の生活を決めていきたい

私は生まれも育ちも浪江町で、震災当時は浪江町に在った新聞店の事務員として働いていました。当日も事務所で作業をしている最中に防災アラームが鳴り「そんなに大きい地震でもないかな?」と思っていたら揺れが大きくなってきたので、慌てて店内に居た社員さんたちと一緒に外に避難しました。外に出ると周りの建物や道路にヒビが入っており、ただ事ではないなと感じました。
店舗内は水道と電気が止まってしまいましたが、幸い大きな被害は無く翌日も新聞を配達することになったのですが、従業員の中には津波被害に見舞われた地域に住んでいた方も居たので、私も急遽配達員として仕事をすることになったんです。

翌朝、地図を片手に新聞配達をしていると、早朝5時くらいから町の防災無線で何か流れているのが聞こえてきましたが運転中のため聞き取れず、そのまま配達を続けていたんです。そしたら、知り合い宅の奥さんがたまたま家の外に出ており「あなた、何してるの!?」と聞いてきました。私が「新聞配達してるんですよ」と答えると「防災無線で避難しろってずっと言ってるよ」と。
急いで店舗に引き返すと店長から「西の方(津島方面)に避難しろ」と言われ、両親と愛猫を連れて津島まで避難すると津島に住んでいた父方の親戚が迎えに来てくれ、親戚宅で3日ほど過ごしました。その間、私は猫が心配だったのでずっと猫と一緒に車中泊していました。

15日には津島にも居られなくなり、その後当時お付き合いをしていた主人と合流し栃木県や宮城県などを転々としたあと、2011年4月に私の弟がいわき市で仕事を再開することを期に、両親と私も浪江町と気候の似ているいわき市への転居を決意しました。しかし、借り上げ住宅のため猫は連れて行けずどうしようか迷ってたんです。
そんな折、福島市に住んでいた猫好きの叔母が「私の家で引き取るよ」と言ってくれ、お世話をお願いしました。4年ほど前に愛猫は他界してしまいましたが、叔母宅で飼われていた3匹の猫たちとも打ち解け、叔父と叔母からも沢山の愛情を貰って暮らしていたので、最期は本当に幸せだっただろうなと思っています。

浪江町へ帰還する際の不安

その後私は主人と結婚をし、2012年に娘も誕生しました。現在はいわき市植田の借り上げ住宅に3人で暮らしているのですが、主人の強い希望により、2019年4月に娘が小学校へ入学することを期に浪江町へ帰還する予定です。
しかし、震災後に産まれた娘は浪江町での思い出がほとんど無く、いわき市の小学校に入学したいと言っていることや、浪江町に戻ってもインフラ等も十分とは言えず、今の生活よりも不便になることなどを考慮し、私自身はまだ帰還するのには早いのではないかと考えています。
私たち夫婦はどちらも浪江町出身のため、町には愛着も思い入れだってもちろんあります。いつかは戻りたいとは考えていますが、帰還後の生活基盤ができていない状態なのに(浪江町に)戻ることはとても不安なんです。

私の両親も震災後いわき市の弟宅近くに家を建て、浪江町の実家はたまに手入れしに行くくらいなので、帰還の意思はないと考えています。
何かあったときに近くに頼れる親戚も居ないので、そういった面なども含め、主人とよく話し合っていかなければいけないと思っています。

2018年12月取材
文 ・写真=S/T

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