匿名希望とくめいきぼう さん | 富岡町

匿名希望とくめいきぼう さん | 富岡町

これからも可能な限り、夜の森の桜の写真を撮り続けていきたい

私は郡山市出身で、縁もゆかりもない富岡町夜の森に引っ越してきたのは24歳のときです。知人から紹介された仕事をしながら2年半ほど富岡に住んでいました。
震災当日は3月末に浪江町への引っ越しが決定しており、その準備のため自宅を片付けている最中に大きな揺れに襲われました。震災の3日前から大きな余震が続いていたので、最初は「また地震だ」くらいの感覚でしたが、だんだん揺れが大きくなり慌てて窓を開けると、周りの塀が倒れたりしていて、ただただ「映画みたいだ」と思った記憶があります。
家の中がぐちゃぐちゃになったことと余震が続いていたのでしばらく車の中で暖を取り、その後町内にあった知人宅に身を寄せました。
翌朝に富岡川の様子を見に行ったのですが、河川敷には車や瓦礫が流されてきており、津波被害のリアルな光景に愕然としました。海側に行こうとすると、途中でタイベックス姿の警察官に「これ以上は危ないから立ち入り禁止だよ。富岡町もすぐに避難になると思うから、準備しておいてね」と言われました。
周りの家も避難する準備をしていたので、私たちも知人家族と一緒に川内村の「かわうちの湯」に移動しました。その日15時過ぎにイチエフ1号機の水素爆発がテレビで流れ、避難してきた人たちはパニックになりました。富岡町の住民は家族や親族などに原発で働いている方が多く、その場で泣き崩れてしまう方も居ました。炊き出しをしてくださっている方々に罵声を浴びせている人もいて、その殺伐とした空気にとてもいたたまれない気持ちになったことは、今でも思い出すと苦しいです。
その後知人と一緒に郡山市の私の実家に身を寄せました。私たちの状況を知った地元の友人たちがタオルや布団などを用意してくれ、とてもありがたかったです。

しばらく実家で憂鬱な日々を過ごしていましたが、郡山市にあるビッグパレットふくしまが富岡町の避難所になり、被災状況の申請などで足を運んだ際に、そこで生活をしている方々を見て「自分は住む家があってまだ恵まれている。働ける状況にある人から働かないとダメだ。」と思い、2011年7月からウェブメディア関係の仕事に就きました。
私は主に市内のお店などをホームページ上で紹介する業務に携わっていたのですが、これも“避難先でも富岡の人たちが生活に困らないよう、様々な場所を紹介出来たら”という気持ちで働きました。また、当時は郡山市から県外に避難された方も多かったため、そういった方々にも“福島は元気だよ!”と伝えたいという気持ちと、みんなが帰ってきたときに「おかえり」と言える立場でいたいという思いもありましたね。

今の原動力となった、大切な思い出と出会い

匿名さんが制作した、夜の森桜のポストカード

しかしその後、私は仕事や人間関係などで心身ともに疲れてしまい、何も手に付かない状況になってしまった時期がありました。そんな折、富岡町へ一時帰宅をしたのですが、そのときに桜の写真をカメラに収めました。

その頃郡山市に設置された「おだがいさまセンター」で放送されていた「おだがいさまFM(※2018年3月終了)」のパーソナリティーの方と知り合う機会が有りました。
土曜日に放送されていた「富岡、わが町とみおか76.9(セブンロック)」は町民参加型の番組だったので、そのときに「富岡(出身)ならラジオ出て」と依頼され(ラジオに)出演しました。
番組内で一時帰宅のときに撮った桜の写真を見せると「すごい素敵だね!こんなに上手に撮れるならみんなに見せたら?」と、とても喜んでくれました。
前述の通り全てに疲れてしまっていた私は、自分自身を否定してしまう気持ちがとても強かったため、自分が好きでやったことを評価してもらえたことがとても嬉しく、その一言にとても救われました。

2014年に匿名さんにより制作された写真集

それから私は夜の森の桜を撮った写真集やポストカードを避難した町民の皆さんに配布したり、WEBで公開するようになりました。“今の富岡の姿を写真に残したい。”そんな思いで活動を始め、富岡町に縁のあった方や興味を持たれた方からも喜んでもらえるようになり、本当に嬉しかったです。
それからは、毎年春には夜の森桜の写真を撮ることがライフワークになっています。

イベントで写真を展示した際の一枚

夜の森の桜並木って、本当に奇麗ですよね。だけど、あんなに幻想的な世界があるって知らない人もいます。だからこそ、“世界の片隅にこんなに美しい場所があるんだよ”とみんなに伝えたいし、これからも可能な限り写真を撮り続けていきたいです。
その頃から双葉郡未来会議代表の平山さんと出会い、イベントや視察などに参加する中で富岡町の知り合いが増えました。
現在私は縁あっていわき出身の主人と出会い、今はいわき市に居を構えています。浜通りにもう一度住みたいと思っていた私は主人と出会えて本当に良かったと思いますし、正直、震災後は苦労も多かったですが、今私の周りに居てくれる人たちのおかげで、本当に幸せです。 
双葉郡は先の震災以降、どうしても“悲しい”イメージにつながりやすい地域になってしまいました。だけど、そうじゃなくて、双葉郡には楽しいことや魅力的な場所が沢山あるっていうことをもっと色々な人たちに知って欲しいです。

『とみROCK』にて販売された、匿名さんデザインのステッカー

私は現在、フリーのデザイナーとして仕事をしています。今年は町内で開催された『とみROCK2018』のロゴデザインなども手がけることができ、やっと富岡の役に立てるようになったなと思っています。
ゼロから1を作れるのがクリエイティブな仕事をしている人間の強みでもあります。だからこれからもエンターテインメントの側面で双葉郡を盛り上げ、 “楽しい”ことをもっと増やしていけるような仕事をしていきたいと考えていますし、私自身の今後の課題だと思っています。

2018年10月取材
文 ・写真=S/T
1,3,4,5枚目写真提供=匿名さん

浪江町