「双葉郡未来会議 season7 ~特集!牛たちの行方~」開催レポート 4

「双葉郡未来会議 season7 ~特集!牛たちの行方~」開催レポート 4

トーク/谷さつきさん(大熊町/ふるさとと心を守る友の会)

 私は「もーもーガーデン」という牧場を大熊町野上でやっています。出身は静岡で、目の前に太平洋、後ろに山脈、そして原発があります。震災時、福島県の浜通りが人ごととは思えませんでした。私は当時東京にいましたが、何か支援できることはないかと思っていました。被災地の情報を整理して発信することをしばらくやっているうちに、農家さんたちから「助けて欲しい。牛が大変なことになってる。」という連絡を受けるようになり、福島に入ってきました。現場を農家さんたちと周る中で、これは何とかしなければいけない、という気持ちになったんですが、現場の市町村は職員の方々も被災しており、大変な状況でとても牛には手が回らないような状況でした。そこで農家さんたちとまず、離れてしまった家畜に水や餌を与えました。しかし全く足りませんでした。地震でパイプが壊れて水道水は出ない、井戸や川があってもくみ上げるポンプが壊れていたり、なかなか水やりもうまくできませんでした。そこで離れている牛たちを囲い込み、新しい牧場を作る作業をしてきました。田んぼや畑に囲い込み用の柵を、最初はパイプで作ったんですけれども、価格が高い上に重く、作業にも時間がかかるので、徐々に電柵に変更してきました。

 全国で耕作放棄地が今増えています。少子高齢化で地方からは人がいなくなり、跡継ぎがいない、耕作放棄地の激増はその結果の一つです。耕作放棄地の荒廃を牛で解消することは、鳥獣の被害を防ぐ意味でも一番有効な方法だと、耕作放棄地解消の第一人者、「落合和彦」先生がおっしゃっていました。先生には2011年に福島の警戒区域内に来ていただき、牧場を作れる場所を4箇所、見ていただき、そのうちの近くに水があったところから柵作りを始めました。それから離れ牛たちを柵の中に入れなければいけないんですね。しかし人を警戒して寄ってこなかったりするんです。突然、人がいなくなって餓死してしまったり、事故にあったり、その後に安楽死処分があったので、人間不信になったようでした。最初は200メートルくらい先から人の姿を見ると逃げてしまい、なかなか柵の中に入ってくれませんでした。そこで餌を置き、人は姿を隠して牛が安心できる環境を作って、餌を食べさせ、それを繰り返していくと徐々に近寄ってきてくれました。それから最後に鼻についている鼻輪をつかんで引っ張っていく、というような作業を繰り返していました。

 牛たちは何年たっても自分の主人の顔を覚えているようで、飼い主の方たちとやることが一番効率的でした。飼い主だと心を許して、近づきやすいようです。農家の方たちも本当に頑張って、ご近所迷惑にならないように、ということをすごく考えていらっしゃって。その時の涙とか苦労は忘れられません。

 囲い込んだ後、飼養管理を始めました。その時には東京から通いでできる範囲を超えていたので、移住をすることにしました。最初に仕事の関係でいわき市泉町に、そして友人をたよってさらに近い楢葉町に移住しました。今はそこからさらに近い農家さんの家に住んでいます。

 私は大熊町野上で牛たち、MooたちがMowするガーデンを作っています。Mooは牛たちのこと、もう一つのMowは草を刈る、という意味があります。「MooがMowする」ことは草食動物本来の習性を生かしたエコ草刈りなんです。今、ヤギによるエコ草刈りがすごく流行っています。アメリカのシリコンバレーでは30年前から実施されています。Co2を廃棄する量が少なかったりだとか、餌になりつつ未利用資源を活用しながら、ヤギの乳を絞ったりだとか、草刈り機を使うよりもお得な方法ということで注目されています。山から下りてきた種が発芽し、田畑に木が生えてきて、山林化していきました。それから大繁殖しても、牛は草や葉だけでなく、木も折って食べるんですね。葛など日光を遮る草を全部食べてくれるので、花も生き返ってきました。もーもーガーデンの地主さんたちが震災前に大事に手入れをしていた花木がちょっとずつ息を吹き返してきています。うちの子達はすごく人になついており、作業中でも後ろをついてきたりします。

 もーもーガーデンの面積は4ヘクタール。東京ドーム1個分です。最初は2013年に大熊町野上山神で田んぼ2枚からスタートし、牛たちは広大な土地の草を3日で全て食べ尽くしてしまいました。近所の方々の田畑にもどんどん拡張を続けながら、周囲一帯を保全していきました。2016年には野上姥神にバリケードの設置の関係で移送をしました。7頭を連れてきて草刈りを開始し、2017年には綺麗になり、そこを皆さんに見ていただくと、見た方々が口コミで広めてくださり、さらに依頼が増えました。そこでさらに4頭増員し、その子達にも頑張ってもらいたいなと思います。今年は電線の周囲だけ草刈りをして、短管パイプを運んで杭を打っています。さらにキウイ棚の再生も加わり、キウイ棚を含む2ヘクタールを拡張しているところです。

 帰還困難区域は高線量だったので、なかなか除染や除草がされていないエリアで、避難せざるを得なかった町村の農地の面積を合わせると8,160ヘクタールあります。1ヘクタールは100m×100mです。それが8,160個。途方もない面積なんですが、震災前は皆さんが本当に日々の努力で維持されていました。総人口化は6万9,000人くらい、そのうちの農業者人口は町によって様々ですが、大体平均すると5パーセントぐらいで2,727人。一人当たり3ヘクタールの農地を農家の方が維持してきたことになります。それが2018年現在で総人口、多く換算して大体5,000人くらい。楢葉は今年の3月末で仮設の措置がなくなるので、帰ってきた人数が増えて5,000人位いると言われています。そのうち農業者人口は200人ぐらい。長期化する避難生活の中で足腰が弱ってしまった方が多く、昔と同じように農業する気力がわかない方もいらっしゃいます。そうすると現実は一人当たり100ヘクタール維持しなくてはならないわけです。

 1人100ヘクタール管理できるかというと、実際農業された方はわかると思うんですが、3ヘクタールやるだけでもすごく大変です。それが100ヘクタールってなるとすごく大変だと思います。福島県にあるうつくしまふくしま未来支援センターで出されている住民意向調査で、「家や庭田畑が荒れ放題になっていてしまって辛い」というのがありました。農地が荒れてしまうことは怪我の悪化や農業の再開への希望の喪失だけではなく、それをずっと代々続けてきたご先祖様たちに対する罪悪感というのものが、農家の方はすごく強いんです。これは私は最初はわかりませんでしたが、少しずつ感じるようになってきました。

 家畜は大量の餌が必要です。MooたちにMowさせることで勝手に自分たちで食べてくれるので、管理の手間がかかりません。イノシシやタヌキなど、野生動物の餌って皆さん何だと思いますか。例えばイノシシの食べているものの65パーセントは雑草です。つまり雑草を放置しておくとイノシシの住処やエサを提供してるものと同じことになってしまいます。震災後大繁殖し、交通事故も発生していますが、牛を放牧すると繁殖が抑制され、自ら山へ戻ってくれます。人と野性動物との境に里山機能を復活させることができます。牛を投入し、生態系のバランスを整えることで調和、安定した環境を取り戻すことができます。

 今後は「里親オーナー制度」ということで、生き残った動物や植物のオーナーを募集しながら、活動を続けていきたいと思っています。研究者たちとバーチャルな柵を作る研究や牧羊犬ロボットを開発するプロジェクトなどが実際に動いています。他にも色々と農業の新開発をしていくこともできるのではと思っています。帰還困難区域でやってきたからこそ培うことができたものを、もっと進化させていきたいです。ご清聴ありがとうございました。

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