そのような中で、わたしがとりわけこれは問題だなと思うのが、人口の減少です。人口は最高時、林業が盛んだった時期、1960年代頃に3,000人くらいいたのが、恐らく、帰還した後の人口は200〜400人前後と予想されています。この数字はどこから拾ってきたのかというと、自治会長さんが拾ってきます。葛尾村は1,500人くらいしかいないので、大体顔はわかるんですよ。なので「アイツは帰らない」「アイツは帰る」とやっていくと、大体の数字がわかっちゃうんですよね。この200〜400っていう数字の捉え方なんですけれども、福島県で一番小さな規模の自治体さんってどちらかご存知ですか。檜枝岐村が640人ちょいなんですね。それよりも、恐らく、帰村になった後は、スタートが少なくなる。これが、本当に絶望的な数字なのかどうかは、実際にその規模で維持している自治体もあるし、全国にそういった町もあると考えると、決して悲観的になる数字でもないのかなと思っています。
どちらかというと、問題なのはこっちかなと思っています。若者の割合の現象です。このときの若者の定義は15歳以上の39歳未満、生産する年齢層ということでとっているんですけれども、葛尾村は21%。村の規模が小さくなることに関しては、連携を深めることによって持続は可能だと思うんですけれども、将来的に見たときに、地域を続けている子供がいないということがかなりの課題なんじゃないかなと考えています。
それが続いてたときに何が起こるかというと、リアルに感じる村が消えていく危機感を感じています。地域の自治組織が大分弱まっていくんじゃないかなと考えます。実際、葛尾で去年の3月に火事があって、避難先に消防団がバラバラになっていたとか、時間帯も夕方だったということも重なって、火事の消火が間に合わなかったという話が新聞にも載っています。規模が小さくなって、若い人が少なくなっていくと、こういったことが起きていくんだろうなという危機感があったりします。
でも、わたしは、そんな葛尾村で生きていきたいと考えています。ここが、今日一番言いたいのは「父をはじめ、地域と共に命をつないできた下枝家の祖先たちがいた」ということです。震災当時、わたしの父親は浪江の消防に勤めていて、水素爆発の消火に向かう部隊の一人でした。わたしは2年経ってからそのことを新聞で読んで、父に聞いたら「それは、俺だ」というんです。親父は癖の強い人で、村の中でも結構愚痴を聞くんですよ。だから、村が嫌いなのかなと思っていたんですけれども、でも、いざという時になって、親父はお袋に「俺しかいないから、行くぞ」と。お袋は「あなたしかいないんだから、行きな」と言ったらしいんです。
人口1,500人、それに財政規模が21億。「お前の村は別にいらないんじゃない」って東京の知人に言われたことがあります。半分、わかるような気もしたけれど、でも、半分、なんか腹立ったんですよ。親父がなんやかんやで最後は「俺の命がある」って言ったあの場所は、本当にいらないところなのかと。俺が生まれたところをいらないって言われていいのかなって、腹が立ったんですよ。結局、震災前とは全く違う仕事に変えて、貯金とかなくなってきても、それでも(今の活動を)やり続けているっていうのは、その問いに対しての答えを求め続けているんですよ。本当に、俺の村はいらないのか。「いや、そうじゃない。俺の村はこんなに素晴らしいんだ」って言いたいんです。
先程も牛の話をしましたが、葛尾からは種牛が出荷されることが多いです。その種牛を作るのに、何年も掛け合わせをするらしんですね。その牛を育てて家業を守ってきたわけです。うちの田んぼでも「この田んぼは ◯◯ が開拓して、それをずっと育ててきたんだ」とよく言うんですね。そういう人の温かさがある地域っていいなって、わたしは思ったんです。東京に出て働いて、お金を稼ぐだけじゃなくて、お金を稼ぐプラス人の温かさが感じられる地域って、すごく僕には魅力的だったんです。そうじゃない人も当然いるってことを認めた上で。
ただ、そうは思っても、一人じゃ大変なんですよ。村の人口が少ないので、一人に回ってくる役割も大きいし、扱う課題も大きい。そうやって孤軍奮闘していたときに、平山さん(双葉郡未来会議の代表)と出会ったんです。多分この規模になってくると、協力していかないといけないなって思ったんです、直感で。当然、村の中で一緒にやる人もいるんですけれども、わたし、協議会の中でも一番若くて、他の方は家族とかもあるんですよね。こうやって動けるのも、30歳のわたしくらいです。そんな中で、同じ双葉郡でこんなに頑張っている人がいるっていうのは、どれだけ僕を励ましてくれたか。そして、その人達と一緒に何かできるっていうのが、僕はすごく嬉しい。
そして、出来たのが双葉郡未来会議。何かを最初に決めるんじゃなくて、お互いのそれぞれの立ち位置を共有してやっていこうと。それが、僕にとっては魅力的でした。テーブルの上に堅い話をするために集うんじゃなくて、飲みながら、冗談半分に、でも半分本気で話せるような空気が、本当の双葉のみんなが話したい空気なんじゃないかなって最近は思っています。そうやって、飲ミーティングなんてやっているんですけれども、他にも、各町の視察だったりとか、第一原発の視察だったりとか、本会議をやらせてもらっています。やっぱり、何かをしようっていうのは大事なんですけれども、その前に、しっかりお互いのことを知り合う、把握し合うっていうのは、もっと丁寧にしていく必要があったんじゃないかなって思います。
これまでは、外からくる人の支援に頼りっきりだったんじゃないかなって思うんです。でも、そもそも、この地域、双葉郡でも、これからどこか行くところでも、“誰が主役か”“誰の為の復興か”と考えたときに、基本は、“地域のことは地域の人がなんとかするしかない”。それを、他の人のペースじゃなくて、私たち、双葉郡住民のペースで、私たちの言葉で、私たちが軸になって、何よりも、目的は“私たちはどうやったら幸せになるか”ということです。課題をどう解決していくかっていうのとはちょっとニュアンスが違って、どうやったらここにいる私たち双葉郡住民や関係する人たちが幸せになるのかっていうのを、わくわくしながら考えて活動していけたらいいなと思っています。
最後に、もし葛尾に行ったことがない人は、まず葛尾に行っていただければいいかなと。お婆ちゃんがいると「どっから来たんだい」って声をかけられますから。上がっていけ、とか、お茶飲んでいけ、とか言われます。そんなあったかい葛尾村が今後続いていけばいいなって思いますから、皆さんぜひ葛尾のことを知って、繋がっていただければと思います。本日はありがとうございました。
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