あの日、震度6強と、富岡沖21.1mの大津波で、富岡駅東側が壊滅しております。3回目の避難で、ビックパレットに川内村さんと一緒に移動することとなります。8月31日までの約6ヶ月、約3,000人の方が避難しておりました。この場を借りて、川内村さん、郡山市さんに、厚く御礼を申し上げます。
震災による被害でございます。こちら、ご覧のとおりでございます。特に震災関連死がまだまだ現在でも増加しています。
震災から2年後、政府による区域再編が行われました。これによりまして、町は3色に分けられることになります。この色分けはどうなったかと言いますと、その後の復興・復旧事業・賠償に大きな影響を与えることになります。
人口の動態です。こちらは、被災したどの町もそうですが、減少しているということになります。
それから、除染。今年の3月に全て完了するという予定で進んでいます。ただしですね、終わっても、ホットスポットという高線量地区がまだまだございます。こちらの処理をどうするか、今検討しているところでございます。
とりわけ、現在でも立入が制限されている帰還困難区域を抱えております。住宅の隣が帰還困難区域という、見えない空中汚染があります。こちらも大きな課題となっております。
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