馬上もうえ 義幸よしゆき さん | 広野町

馬上もうえ 義幸よしゆき さん | 広野町

 いわき市出身 広野町在住

ひとの繋がりを大切にしたい

私は広野町出身ではなくていわき市の四倉出身なんだけど、退職したら住む場所を探していて、震災前に、知人の勧めで広野町に家を建てたんです。
震災当時は仙台に単身赴任中で、妻と息子は先に広野町に住んでいてね。あの時、新幹線はだめ、高速はだめで市役所にずっといて。家族は避難で石川町にお世話になりました。その後、仮設住宅にも住みましたよ。
私はNTTで働いていて、石川町は若い時、電電公社時代に配属になった町でもあるから、色んな事を思い出したね。
今と違って、手動で電話を繋いでいたりして、自分は内勤だったから、小さな部屋の中で仕事をしていた。トラブルがあった時は対処しなくてはいけないのだけれど、その頃知り合った友人と休みの日になると町を遊びながら見て回ってね、そうした事がいつしか経験になって、まさかそうした場所にお世話になるとは思ってもいなかったけど。

震災後、たまたま遊びにいった家でオリーブを作っていてね。そこの奥さんが中学校の後輩だったのね、「うちの旦那がオリーブをやってみたいと言うから、手伝ってくれないか」と言われて、それがきっかで、だんだん広野町の復興のお手伝いが始まっていったんです。
私は小さなころは母の後ろに隠れてしまうような子供で、それに技術屋だったから人付き合いが苦手で、人見知りだったけど、そういったことも克服したいなと思って、復興ごとの企画やコミュニケーションの場には参加するようになった。そういった場に顔を出さないでいたら、ずっと仮設で一人だったと思う。
広野町でオリーブを広めようと仮設住宅で600枚、自分たちで作ったチラシを配ったら、来てくれたのはたった6人だった。がくーっときたけど、今でも3人が残ってくれている。本当に寡黙にずっとやってくれていて、頭が下がる思いだね。一生懸命やっている人はいるし、後押しが出来たらなと。
今、町をどうにかしたいと一生懸命頑張っている人の多くは年金受給者の人が多いね。広野町をもっと良くするには若い人が必要、若い人は仕事があるからなかなか難しいと思うけど。

広野には、廃炉の作業員とか東電社員の人達とか町にはそうした人達もいる。廃炉は何十年もかかる訳でしょ、ここで住む以上は一緒に町づくりができたらって考えるのだけれど、事故への負い目ってあるんでしょうね。個人個人は違うわけだから、一緒にやれたらとそんな風に思う。あの人達が一生懸命やってくれたから、チェルノブイリみたいにならなかっただろうからさ。
でも私はNTTでデータを預かる仕事をしていたから、冗長化(じょうちょうか:システムの一部に何らかの障害が発生した場合に備えて、障害発生後でもシステム全体の機能を維持し続けられるように、予備装置を平常時からバックアップとして配置し運用しておくこと)は本当に大切だったと思う。事故が起きたらどう対処するか、それを何重にもして防ぐ。東京電力の上層部が津波について分かっていたらなら、対策をしないといけなかったよね。1円を惜しんで1万円を失う話ではないけど、何十億の防潮堤を惜しんでね、何兆円というお金がかかっているのは事実だし、故郷を失っている人達もいる、いまだに仮設にいる人達もいるんだから。組織・経営層が罰を受けるのは当然だと思うけど。その負い目を個人個人で、ここで廃炉に向けて働く人達に負わせてはダメだよね、そこで働く協力企業の人達にも。
 
事故があったから色々考えるようになったね。“ピンチをチャンスに”って、最初は何を言っているんだと思っていたけど、今は当たってるなぁと思うし、ああいう機会があったから真剣に町づくりを考えることになったと思う。
何にも考えなかったら楽だけど、どんどん町は廃れていくしね。町づくりを真剣に考えられないのは食べれちゃうからなんだろうね。生活的に裕福でそれなりにやっていけるという意味で。

震災後、会津に知り合いが出来たのだけれど、夏だけで冬の分まで稼がないといけない地域があって、農作物とか見てもいつでもできるってわけじゃない、厳しい環境にいるから、一生懸命にやる人達がいてね。ここに比べて厳しい環境の中、放射能で物が売れなくなってしまって大変だと聞いていると、一生懸命やっている人を盛り立てるようなことが必要じゃないかなと思う。
 
今、広野町で色々と復興のお手伝いをしているけど、町づくりは答えがないから難しいね。やってもひと段落するわけじゃない。そして今では人との付き合いが面白いと思えるようになった。正直喧嘩をすることもあるけど、一生懸命やって真剣だからだろうね。簡単にメールで会話出来ちゃう時代だけど、文書ではたった一文字の違いで大きな誤解も生むでしょ。人との繋がりは喋っていかないと出来ないね。人付き合いは苦手だったけど、好きなことをみんなでやれたらいいなと思う。

2017年12月取材
文/写真:吉川 彰浩