浪江町視察レポート

浪江町視察レポート

視察日:2017年3月5日(日)

『双葉郡未来会議』は「知る」「見る」「繋がる」という3つのコンセプトのもと、おとなりさんのことも知っておこうという趣旨で8町村視察を開催しています。

今回は避難指示解除を前にした浪江町。震災時、震度6強の揺れと15メートルを超える津波の被害、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故により避難を余儀なくされ、浪江町役場の機能は一年半で4回移転しました。

これまでの、今の、これからの浪江がどうなのか?

集合場所は浪江町役場内の大会議室。

午前中はここで、今回のアテンドをしてくださる浪江町役場・小林さんから町の現状について説明していただきました。

そして、診療所とまちなみマルシェを見たあと、バスで一時休憩施設、元老人保健施設の「貴布祢」に移動しました。

貴布祢にて、浪江の資料の展示をみながら昼食をとりました。

はじめに訪問したのは、請戸漁港。

津波の影響を受け、地元の方々は南相馬の漁港に拠点を移していましたが、先日2月25日に6年ぶりに漁船が帰港することとなりました。

次に請戸小学校。

地震発生時80人の児童が学校に残っていましたが、教職員による迅速な避難指示により大平山へたどり着いたため、幸い1人も犠牲者はいませんでした。

その後、自衛隊や警察の方々などから励ましの言葉がよせられた黒板は、メッセージが消されたり、関係のない言葉が書かれるなど心無い行為もあったことから、落書きを禁止し、後に保存のためほかの校舎に移しました。校舎も現在保存を検討中だそうです。

校舎の損傷が激しいため、敷地外からのみの視察となりましたが、ゆがんだ窓枠などから津波の凄惨さを感じました。

共同墓地には、実際に住民の方が避難し、町が飲み込まれる様子をみていたそうです。

以前の慰霊碑は移動し、3月11日に除幕式が行われました。

次に浪江駅前とサンプラザを回り、懐かしさで参加者みんなが昔話に花を咲かせました。

浪江駅は、3月31日から小高―浪江間の運転再開予定。また、富岡―浪江間は平成31年度末までの開通を目指しています。

次に希望の牧場へ向かいました。

希望の牧場を経営する吉沢さんは殺処分を承諾せず、牛飼いとして牛を守り続け、他の牧場の牛も保護してきました。

「浪江町は元の姿にはもう絶対戻れない。だがしかし、命をどう扱うのか、牛たちは、この事故を生き抜いてきたある意味貴重な生きた資料だ。その調査をきちんと進めることで、将来に大きな資産を残すこともできる。何事もなかったかのように殺処分してしまっていいのか」と吉沢さんは話してくださいました。牛を生かすことでさらに、エネルギーのことを考えるきっかけにもなり、それは福島だけの問題ではなく、日本全体の、世界の問題でもある。ひとりひとりが考えを持ち行動すること。それらが復興の希望につながるのだと信じて今も活動をしています。

最後に訪れたNPO法人JINでは代表の川村さんが福祉と農業での浪江の復興を図るお話を伺いました。

震災前は事業所として、障がい者や高齢者のデイサービスやリハビリ等を行っていましたが、震災により休止を余儀なくされました。「ここに生きる我々はどう生きるべきか」と考え、2年間は原発避難者の支援を始めました。まずは、福島県内の避難先に、仮設住宅のサポートセンター3か所、障害者の日中活動の場を2か所、相談支援事業所を1か所新たに開設し、そして、浪江町の復興を担う仕事をしようと思いました。

ふるさとの風景は美しくなければならない。荒れ果てていてはだめだと考えました。今、その復興を担うのは障害者や浪江の町で長い間農業をしてきた高齢者ではないかと考えました。

川村さんは今、障害者や高齢者を復興の担い手として花の博覧会に出店している方から技術を学び、良質な花の栽培を行っています。今はハウスではトルコギキョウ、露地ではリンドウを中心に栽培し、東京を中心に出荷しています。

「NPO法人JIN」で働くことで地域で生活している障がい者、高齢者等の医療、福祉等の増進を図る活動を通して、一人ひとりが誇りを取り戻し、豊かに生活を営めるように活動しています。

考えるだけでなく行動を起こすことや、形にすることが大切だとお話しいただきました。

視察後には、浪江町役場の大会議室に戻り、参加者がグループに分かれて感想を共有しました。

今回、吉沢さんと川村さんの両極の形の希望を実際に観て聞く事が出来てとてもよかったと思います。避難指示解除に向けて、少しずつ、しかし着々と進んでいる様子が見られました。

参加者の感想は、こちらから。

今回、浪江町視察に参加してくださった皆さんありがとうございました。